海外の債券を香港経由で買う経路が、中国で最も保守的な資金に開く。変わるのは規制当局への申請という一手間で、金額の天井は別の規定が押さえたままになる。届く先の市場と、そこへ出せる元手は分けて測る必要がある。
中国の社会保障の戦略準備金を運用する全国社会保障基金理事会が、香港経由で海外の債券を買う経路を使えるようになる見通しだと、通信社が2026年9月9日に伝えた。中国の規制当局に海外投資の枠を申請せずに済むようになり、外部の運用会社を通じてオフショア人民元建て債券への投資計画を準備している、という内容である。中国人民銀行と同理事会は取材に応じていない。
数字の出どころを確かめると、報道の見出しは同基金の2025年度報告に載る残高そのものだった。本誌は理事会の年度報告2期分、香港金融管理局が中国人民銀行および香港証券先物委員会と共同で出した2026年7月7日の措置、中国国家外貨管理局が2021年に出した制度の説明、米連邦準備制度の為替・金利の実績値、金融庁のEDINET、米証券取引委員会の提出書類にあたり、報じられた金額の中身と、実際に動かせる金額を分けて計算した。
5,680億ドルは2025年末の残高を1ドル=6.71元で換算した数字
全国社会保障基金の2025年度報告は2026年9月1日に公表された。2025年末の基金資産総額は3兆8,083億7,300万元である。これを報道の5,680億ドルで割ると1ドル=6.705元になる。米連邦準備制度が公表する人民元の対ドル相場は2026年9月4日に6.7108だから、見出しの金額は2025年末の元建て残高を、報道時点の相場でドルに直したものだと分かる。
同じ元建て残高を1年前の相場で換算すると、別の数字が出る。2024年12月31日の相場は7.2993で、3兆8,083億7,300万元は5,217億ドルにしかならない。差の457億ドルは、基金が1元も増やさなくても為替だけで生じる。ドルの実効相場は同じ期間に129.2775から118.0732へ8.67%下がっており、人民元だけが強くなったのではなく、ドルの側が広く弱くなっている。
基金そのものの伸びも大きい。2024年末の3兆3,224億6,200万元から2025年末の3兆8,083億7,300万元へ14.6%増えた。2025年の投資収益額は3,906億7,200万元、収益率は13.22%である。うち実現収益は1,922億6,100万元で実現収益率は7.01%、残る1,984億1,100万元は売買目的資産の評価益にあたる。設立以来の年平均収益率は7.62%、累計の投資収益額は2兆2,916億7,900万元になる。
4分の3を外部に任せる構造が、報道の一行を裏づける
報道は、理事会が外部の運用会社を通じてオフショア人民元建て債券の投資計画を準備している、と書いた。この一行は、基金の運用体制と符合する。2025年末の委託投資資産は2兆7,874億5,000万元で、資産総額の73.19%を占める。直接投資は1兆209億2,300万元で26.81%にとどまる。比率は2024年末の71.45%から1.74ポイント上がっており、外部に任せる部分は増えている。
直接投資は主に銀行預金と持分の投資にあたり、市場で日々売買する資産の大半は委託の側にある。海外の債券を新しい経路で買う場合も、理事会が自ら発注するのではなく、選んだ運用会社に指図する形が既定の道になる。報道の「外部の運用会社を通じて」という一節が指すのは、特別な仕組みを新設するという意味ではなく、既存の委託の枠組みに商品を1つ加えるという意味に近い。
同じ構造は公的年金の積立金の側にもある。こちらは純資産2兆9,818億6,100万元のうち委託投資が2兆1,437億5,100万元で71.89%、直接投資が8,381億1,000万元で28.11%になる。2つの資金で委託の比率がほぼ揃っているのは、同じ理事会が同じ運用会社の候補先を使っているためである。片方の資金に海外の商品が加われば、実務の手順はもう片方にもそのまま使える。
上限20%まで残り1,816億元、年度の枠の22.7%にすぎない
海外に出せる金額には別の天井がある。海外投資の管理を定めた規定は、その比率を取得原価で計算して基金の総資産の20%以内と定める。2025年末の海外投資資産は5,800億1,900万元で、資産総額に対する比率は15.23%だった。
資産総額に20%を掛けると7,616億7,500万元になり、現在の残高を引いた1,816億5,600万元が上限までの余地になる。足元の相場で271億ドルにあたる。規制が取得原価で測る一方、報告に載る15.23%は時価ベースだから、実際の余地はこれよりいくらか広い。それでも桁は変わらない。
この数字を香港側の枠と並べると、報道の受け止め方が変わる。南向き取引の年間の投資枠 (純額ベース)は2026年7月に5,000億元から8,000億元へ広がった。社会保障基金が残りの余地をすべて南向き取引に振り向けたとしても、年度の枠の22.7%を使うだけである。今回の措置は資金の量を増やすものではなく、申請の手続きを外す事務の手直しにあたる。
海外投資の増え方そのものは速い。2024年末の4,378億2,600万元から2025年末の5,800億1,900万元へ1,421億9,300万元、32.5%増えた。基金全体の伸び14.6%の2.2倍である。比率も13.18%から15.23%へ2.05ポイント上がった。この速度が続けば、20%の天井までは2年程度しかない。
申請が要らなくなると、実務の何が変わるのか
いま基金が海外の資産を買うときは、適格国内機関投資家の枠を使う。この枠は国家外貨管理局が機関ごとに配分するもので、増やすには申請と審査を経る必要がある。枠の残りが尽きれば、相場の判断とは関係なく買えなくなる。運用の側から見ると、投資の判断と資金の出口が別々の都合で動いている状態になる。
南向きの経路はこの構造を変える。2021年の制度の説明は、この仕組みを使う場合に別途の海外投資の枠を申請する必要がないことを前提に置いていた。買える対象は香港の債券市場で流通する債券に限られる代わりに、枠の申請という工程が外れる。報道の「投資の実務が簡素になる」という説明が指すのは、この工程にあたる。
ただし外れるのは工程であって、天井ではない。先の管理規定が定める、取得原価で総資産の20%という上限は、経路が何本あっても変わらない。買える対象も香港の市場で流通する債券に限られるため、欧米の国債や社債を直接買う経路としては使えない。今回の変更で増えるのは、人民元建ての資産を海外に置く選択肢であって、通貨の分散ではない。
同じ理事会が2つの資金を分けて持ち、大きい方は海外へ出られない
理事会が受託管理する資金は3つある。全国社会保障基金、省ごとに集められた公的年金の積立金、そして中央政府直属の国有企業から移された株式と現金収益である。それぞれ単独で会計を分け、集中して運用する建て付けになっている。
公的年金の積立金は2025年末で3兆5,206億9,900万元、純資産は2兆9,818億6,100万元ある。全国社会保障基金と合わせると7兆3,290億7,200万元、足元の相場で1兆920億ドルになる。報道の見出しは、同じ組織が動かす資金の半分強を指しているにすぎない。
ただし残る半分は今回の話に乗れない。積立金の運用を定めた規則の第34条は、この資金を国内の投資に限ると定める。投資範囲には国債先物や株価指数先物まで並ぶが、海外の資産は入っていない。南向き取引の経路が広がっても、この資金が通るには規則そのものを書き換える必要がある。次の一歩は事務ではなく法令の側にある。
運用成績の差も開いている。2025年の収益率は全国社会保障基金が13.22%、公的年金の積立金が5.76%で、7.46ポイントの開きがあった。海外資産と株式に踏み込める側と、国内に閉じている側の差が、そのまま数字に出ている。
原資の43.3%は宝くじの収益金だった
資金の出どころを見ると、この基金の性格がはっきりする。2025年末までに財政から繰り入れられた累計は1兆2,755億4,100万元で、内訳は一般公共予算からの拠出が4,298億3,600万元、宝くじの収益金が5,526億6,700万元、国有株の売却と移管が2,841億6,700万元、没収株式の繰り入れが88億7,100万元である。最大の原資は国の予算ではなく宝くじで、全体の43.3%を占める。
2025年単年ではこの傾向がさらに強い。純繰入618億2,200万元のうち、一般公共予算は200億元、宝くじの収益金が417億8,400万元で67.6%を占め、国有株の売却と移管は0.38億元にとどまった。一方で同じ年の投資収益は3,906億7,200万元あり、繰入額の6.3倍に達する。設立以来でも累計収益2兆2,916億7,900万元は累計繰入1兆2,755億4,100万元の1.80倍である。財政からの補充より運用の成果の方が大きい構造が、利回りを取りにいく動機を制度の側に埋め込んでいる。
年度報告の冒頭に書かれた指揮系統
この基金が何を優先するかは、財務の数字より先に、年度報告の冒頭の一節に表れている。理事会の職責を説明する箇所は、党中央の方針と決定を貫徹し、職責の履行にあたって全国社会保障基金の運用に対する党の集中統一的な指導を堅持し強化する、という文で始まる。同じ文は2024年度報告にも置かれており、年によって書き換えられる類いの表現ではない。運用機関の年次開示が、資産配分の方針より前に指揮系統を宣言する構成になっている。
法定代表者は前の財政相であるリウ・クン氏で、理事長と副理事長は国務院が任命し、理事は国務院が選任する。組織は理事の総会の下に14の部門を置き、そのうち債券投資部と海外投資部が別の部門として並ぶ。海外の運用を担う部署が独立して置かれている点は、今回の話がにわかに出てきたものではないことを示す。人事を扱う部門は本部の党委員会が兼ねる形で置かれている。人の配置と党の組織が同じ部署に収まる作りが、指揮系統の宣言を実務の側で支えている。
意思決定は3つの非常設の委員会が担う。投資決定委員会が中長期の資産配分計画と年度の配分計画、資産の細目ごとの年度の配分方針、四半期の執行計画と再調整案、リスクの方針と予算、投資の基準、重大な投資案を審議する。リスク管理委員会はその下に評価の部会を置き、内部統制委員会が制度と評価を見る。資産配分の判断が委員会の議題として上がり、上から下まで一本の系統で通る設計になっている。海外への配分を増やすかどうかは、運用担当者の裁量ではなく、この系統の判断として現れる。
銀行41行から始まった経路が、5年かけて参加者を広げた
香港経由で本土の投資家が海外の債券を買う仕組みは2021年9月24日に稼働した。当初の年度総額の枠は5,000億元相当、1日あたりの枠は200億元相当だった。参加できるのは中国人民銀行の2020年度公開市場業務プライマリーディーラーのうち41の銀行系金融機関に限られ、非銀行系と農村部の金融機関は除かれた。適格国内機関投資家の枠を持つ機関も利用できたが、取引相手方は香港金融管理局が指定するマーケットメーカーに限られていた。
そこから参加者は段階的に増えた。証券会社と運用会社が加わり、2026年6月には保険資金が実際に取引を始めて、中国人寿保険と平安人寿保険など生命保険6社が第1陣として承認された。同じ月には銀行系の資産運用子会社にも道が開いた。今回報じられた社会保障基金は、この階段の最後に位置する。運用期間が長く、損失に対する許容度が最も低い資金が、最後に通される順序になっている。
3つの当局が同じ日に出した措置
2026年7月7日、香港金融管理局は中国人民銀行および香港証券先物委員会と共同で措置を発表した。同じ日、人民銀行のパン・ゴンション総裁は香港の債券・通貨市場の会合で講演し、南向き取引の年間の投資枠 (純額ベース)を5,000億元から8,000億元へ引き上げると述べた。6割の増加になる。
発表された内容は債券の売買にとどまらない。南向き取引で買った債券をレポの担保に使えるようにし、商品範囲を香港ドル建て債券と人民元建て債券を原資産とする商品まで広げ、マカオの債券市場につなぐ。北向き取引で外国人が持つ本土の国債と政策金融債は、香港の清算機関で証拠金として使えるようになる。スワップ・コネクトの参照金利には銀行間7日物レポの指標金利が加わった。香港金融管理局自身の人民元の資金供給の枠組みは7月10日から2,000億元が5,000億元になり、9か月・2年・3年の期間が新設された。
パン総裁は人民元の国際化について、需要が貿易の決済から投資・調達・値付け・準備という広い領域へ伸びていると述べた。同じ講演で、国家の外貨準備が1年余り香港で資産配分と投資取引を続けており、今後も香港での配分比率を高めると明言している。担い手を民間だけに任せず、準備資産そのものを香港に置く方針が公の場で語られた点は、措置の一覧より重い。
決済から投資・調達・値付け・準備へ、重心が移った
同じ日の発表には、債券の売買と直接は関係しない項目が5つ並んでいた。香港金融管理局の人民元の資金供給の枠組みを7月10日から2,000億元から5,000億元へ広げ、9か月・2年・3年の期間を新設する。7日物のオフショア人民元の流動性を入札で供給する仕組みを研究する。オフショア人民元の短期の債務証券を発行し、金利曲線の短い側を埋める可能性を調べる。オフショア人民元とインドネシア・ルピアを直接交換する二国間の枠組みを進める。人民元の利用促進について、銀行業界に実務の手本を共有する。
この5つはいずれも、債券を買う人を増やす措置ではない。資金の出し手が困らないようにし、値段の基準を作り、他の通貨との交換の道を増やす作業にあたる。市場を作る側の地ならしにあたる。人民銀行の総裁が同じ日に、人民元の国際的な需要が貿易の決済から投資・調達・値付け・準備という広い領域へ伸びていると述べたのは、この地ならしの狙いにあたる。決済で使われる通貨は取引のたびに出ていって戻るが、投資と準備で使われる通貨は残る。残る資産を海外に積むには、値段の基準と交換の道と資金の出し手が揃っている必要がある。
インドネシア・ルピアとの枠組みが並んでいる点は見落とされやすい。ドルを介さずに直接交換できる相手を増やす作業は、決済の効率よりも、ドルの外側に人民元の使い道を作ることに意味がある。米国債の利回りが上がりながらドルの実効相場が下がる局面で、この作業が加速していることは偶然ではない。
枠は8,000億元、通っている残高も8,000億元
制度の枠と実際に通っている金額は、いまのところ近い。2026年3月末の南向き取引の保管残高は8,000億元近くで、枠の拡大前より2,625億元増えていた。香港金融管理局の債券決済システムの人民元建て債券の月平均出来高は2026年1〜4月に2,986億元で、前年同期から約9割増えている。
年度の枠は純額で測るため、保有残高とは意味が違う。それでも、拡大前の枠5,000億元に対して保管残高が8,000億元近くまで積み上がっていた事実は、既存の参加者だけで経路がかなり埋まっていたことを示す。8,000億元への引き上げは、新しい参加者を入れる前に必要な余白を作る作業でもあった。
点心債2兆5,100億元と、13倍の応札
経路の先にある市場は、この5年で厚みを増した。オフショア人民元建て債券の残高は2026年4月末で2兆5,100億元ある。同じ年限で比べると、この市場のクーポンは米ドル建て債券より平均で約200ベーシスポイント低い。発行体にとっては安く調達できる場所であり、投資家にとっては人民元のまま利回りを取れる場所になる。
2026年8月17日に国家電網有限公司が出した3本の起債が、この市場の現在地を示す。5年物39億元がクーポン1.86%、10年物70億元が2.18%、20年物40億元が2.46%で、合計149億元になる。加重平均すると2.17%である。応札は1,938億元と発行額の13.0倍に達し、国有企業のオフショア人民元建て債券として過去最大の規模になった。3本は8月21日に香港取引所へ上場している。
同社は同じ時期に本土でも同年限の債券を出しており、10年物のクーポンは香港での2.18%より約20ベーシスポイント低かったと、同じ記事は記す。本誌は本土側の発行条件を一次資料で確認できなかったため、この一段だけは報道に依拠する。前提が正しければ本土は約1.98%となり、同時点の中国国債10年物1.69%に対して0.29ポイントの上乗せになる計算になる。
0.49ポイントを取りに行く
社会保障基金がこの経路で得られるものは、利回りを並べると大きさが見えてくる。中国国債10年物は2026年8月25日に1.681%、9月2日に1.69%だった。国家電網の10年物オフショア債は2.18%で、差は0.49ポイントになる。為替の変換を伴わず、同じ人民元のまま得られる上乗せである。
同じ表を日本の投資家の側から見ると、逆の姿になる。日本の長期国債利回りは2026年6月に2.670%で、国家電網の10年物オフショア債2.18%より0.49ポイント高い。円をオフショア人民元に換えて為替リスクを負い、利回りは下がる。日本の資金がこの市場へ向かう理由は、いまの水準では立たない。同じ0.49ポイントが、中国の投資家には得になり日本の投資家には損になる。この向きの違いが、後で見る開示の空白を説明する。
米国債10年物は9月4日に4.78%だった。中国国債との差は3.09ポイント、9月2日時点では312ベーシスポイントで、昨年初につけた315ベーシスポイントの過去最大に迫る。
金利差が過去最大に近いのに、人民元が上がっている
教科書どおりなら、金利差が広がった通貨は売られる。実際には逆が起きた。人民元は2024年末の7.2993から2026年9月4日の6.7108へ8.06%上がり、2026年に入ってからだけでも4.04%高い。312ベーシスポイントの不利を抱えたまま通貨が上がる状態は、金利では説明がつかない。
説明はドルの側にある。ドルの実効相場は2024年末の129.2775から118.0732へ8.67%下がり、同じ期間に米国債10年物の利回りは4.58%から4.78%へ上がった。通貨が下がりながら長期金利が上がる組み合わせは、成長の期待ではなく、借り手としての信用に対する見方が変わったときに現れる。米国債2年物も3.47%から4.37%へ動いた。
この局面で人民元建ての資産を海外に置く場所を用意し、準備資産をそこへ寄せる政策は、通貨の勢いが自国側にあるうちに市場の厚みを作る動きにあたる。国際化の重心を決済から投資・調達・値付け・準備へ移すという説明も、同じ機会を指している。
8月3日に始まった先物は、初日で18億元だった
海外の投資家が中国の債券を持つとき、金利の変動を打ち消す手段が長らく足りなかった。香港取引所は2026年8月3日、5年物の人民元建て国債先物を上場した。オフショア市場で唯一の人民元建て国債先物になる。
初日の出来高は9月限が3,440枚、12月限が315枚だった。1枚あたりの契約金額は50万元だから、合計で18億7,750万元になる。オフショア人民元建て債券の残高2兆5,100億元に対して0.075%にすぎない。取引時間は9時30分から16時30分、決済通貨は人民元、取引手数料は1枚5元で、2027年7月30日までは半額になる。
リスクを打ち消す道具が用意されたことと、それが使える厚みを持つことは別である。初日の18億元は、道具が生まれたばかりであることを示す数字にほかならない。
日本の金融21社の有価証券報告書に、この経路は1度も出てこない
日本側がこの動きをどう見ているかを、開示の言葉で測った。本誌は香港のオフショア人民元市場に関わりうる日本の金融・商社22社を対象に、2026年5月から6月に提出された最新の有価証券報告書をEDINETから取得し、21社分の全文で語を数えた。うち2社は資産運用子会社の提出書類だったため、証券コードは付していない。
結果は明快だった。「債券通」「点心債」「オフショア人民元」の語は、21社のいずれにも1度も現れない。「人民元」を書いたのは3社だけで、三井住友フィナンシャルグループが2回、みずほフィナンシャルグループが2回、伊藤忠商事が8回である。三菱UFJフィナンシャル・グループは0回だった。「香港」の最多は三井住友フィナンシャルグループの15回、次いで伊藤忠商事の14回、大和証券グループ本社の11回になる。
外国債券を最も多く書いているのはゆうちょ銀行の33回で、三菱UFJフィナンシャル・グループの29回、みずほフィナンシャルグループの22回が続く。かんぽ生命保険は外貨建債券を19回書く。海外の債券に相当の資金を置いている機関ほど、その中に人民元建てが入っていないことを言葉の側から確かめられる。
欧米の12社も同じだった
比較のため、米証券取引委員会に提出された欧米と日本の大手金融12社の年次報告についても同じ数え方をした。
「Bond Connect」「Southbound」「dim sum」「offshore renminbi」「CNH」「Swap Connect」は、12社のいずれにも現れなかった。香港を本拠の一つとするHSBCホールディングスの年次報告は「Hong Kong」を399回書きながら、「renminbi」は4回にとどまる。ゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレー、JPモルガン・チェース、シティグループ、バンク・オブ・アメリカは「Hong Kong」が3回から7回で、人民元関連の語は現れない。野村ホールディングスは「Hong Kong」24回、三井住友フィナンシャルグループの様式20-Fは11回、みずほフィナンシャルグループは「renminbi」1回だった。
中国が国家の方針として枠を6割広げ、準備資産を寄せ、最も保守的な資金まで通そうとしている経路が、世界の主要金融機関の開示文書の上には存在していない。この落差そのものが、いまの状態を測る指標になる。
GPIFが2021年に挙げた理由は、5年後に香港で消えた
日本の年金積立金管理運用独立行政法人は2021年、中国の人民元建て国債を当面の投資対象とせず、外国債券のベンチマークからも除くと決めた。理由として、国際的な決済システムを利用しにくいこと、円滑な取引に必要な先物取引に外国人投資家が参加できないこと、運用規模に比べて市場の流動性が限られることを挙げている。
このうち先物の条件は、2026年8月3日に香港で満たされた。オフショアで人民元建ての5年物国債先物が取引できるようになり、外国人投資家も参加できる。決済の経路も、南向きと北向きの双方で香港の清算機関を挟む形が整いつつある。5年前に挙げられた3つの理由のうち2つは、性格が変わった。
規模の対比も見ておく価値がある。同法人の運用資産額は2026年6月末で317兆7,596億円、外国債券の構成割合は24.60%である。全国社会保障基金の3兆8,083億7,300万元は足元の相場で約88兆6,000億円にあたり、同法人はその3.6倍の資産を持つ。設立以来の成績は同法人が年率4.95%、全国社会保障基金が年平均7.62%で、後者は株式と持分への配分が厚い分だけ振れも大きい。
投資家が次に見る数字
- 全国社会保障基金の海外投資比率。2024年末13.18%、2025年末15.23%で、上限は取得原価ベースの20%になる。次の年度報告でこの比率がどこまで上がるかが、南向き取引の経路が実際に使われたかどうかを示す。
- 南向き取引の年度純額の消化。枠は8,000億元、2026年3月末の保管残高は8,000億元近い。純額の使用状況が枠に近づけば、次の引き上げか参加者の絞り込みのどちらかが必要になる。
- 香港の5年物国債先物の出来高。初日は3,755枚、18億7,750万元だった。この数字が桁を変えないかぎり、外国人投資家にとって金利のリスクを打ち消す手段は用意されただけで使えないままになる。
制度の側で起きたのは、申請という一手間を外したことである。金額の側で動くのは、上限まで1,816億元にとどまる。だが原資の43.3%を宝くじの収益金に頼り、運用益が財政繰入の6.3倍に達する基金にとって、0.49ポイントの上乗せを人民元のまま取れる場所が増える意味は小さくない。同じ理事会が抱えるもう一方の3兆5,206億元は、いまの法令では海外へ出られない。その扉が動くかどうかが、この経路の本当の太さを決める。
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