マスクのトンネル会社が掘るラスベガスの地下網を検証する。時速35キロの人間運転という現実、約800件の環境違反、数時間で消えた罰金、そして運賃を実際に負担する主体まで、掘削工学と記録から読み解く。
イーロン・マスクが2016年に立ち上げたトンネル掘削会社ボーリング・カンパニー(The Boring Company)が、新たな資金調達の交渉に入ったと米メディアが報じた。2018年にスペースXから分離した同社は、渋滞に巻き込まれた本人の思いつきから始まり、地下を掘って地上の渋滞を解決するという構想を掲げてきた。今回の調達がまとまれば、2022年のシリーズC(調達額6億7,500万ドル、出資者はヴィ・キャピタル、セコイア・キャピタル、ファウンダーズ・ファンド)以来の大型調達になる(WION)。ただし交渉は決着しておらず、条件は変わりうる。
本稿が追うのは、その金額ではない。掘られた穴の中で実際に何が動き、誰が費用を負担し、規制当局との間で何が起きたのかである。ラスベガスの地下網は、構想が現実の岩盤と規制に突き当たったときに何が削られるのかを、10年近い記録として残している。地上の渋滞を地下へ移すという発想の是非は、演出された走行動画ではなく、車両の台数、認可された速度、事故の処分記録、そして支払いの経路を並べたときに初めて評価できる。株価や投資の数字は扱わない。追うのは、掘削という工学と、それを縛る制度である。
地下で実際に動いているもの ― 時速35キロ、運転するのは人間
ラスベガスの地下で稼働しているのは、当初の構想とはかなり違う乗り物だ。走っているのは市販のテスラ車で、運転しているのは自動運転のソフトウエアではなく、人間の運転手である。速度はおよそ時速35キロ、上限でも時速40キロ台にとどまる。クラーク郡の規制当局は、これまでに人間が運転する車両11台しか認可しておらず、厳しい速度制限を課したうえで、テスラの運転支援機能に含まれる衝突回避技術をトンネル内で使うことを禁じている(Wikipedia)。安全は機械ではなく、人の運転に委ねられている。
規模を見る。2026年4月時点で停留所は11か所、累計の乗客はのべ400万人を超えた。年間ではおよそ100万人という水準になる。特定の催しに需要が集中するのが特徴で、2026年3月3日から7日にかけて開かれた建設機械の見本市コンエキスポでは、5日間でおよそ8万2,000人を運んだ(Teslarati)。1日あたりおよそ1万6,000人を、10台強の乗用車で捌いた計算になる。
ここに、この方式の性格が表れている。地下鉄が1編成で1,000人単位を運ぶのに対し、ループは1台あたり3人から4人を運ぶ。輸送力を上げる手段は、車両を増やすか、速度を上げるか、運行間隔を詰めるかしかない。だが車両を増やせばトンネル内で車列が生じ、地上の渋滞を地下へ持ち込むことになる。展示会の会期中に地下で車が数珠つなぎになる光景が繰り返し撮影されてきたのは、この構造の必然だ。ラスベガス市長は、この仕組みを実用的でなく、安全でも利用しやすくもないと評した。当初語られた、16人乗りの電動車両を自動走行させ時速240キロで飛ばすという構想と、いま地下で起きていることの隔たりは、そのままこの10年の設計変更の記録である。
掘削機プルーフロックの設計思想と、公表値の読み方
技術の中核は掘削機にある。同社が開発したプルーフロックは、地表から直接掘り始め、地中を進み、掘り終えたら再び地表へ抜ける方式を採る。イルカが海面を出入りする動きになぞらえて、この手順は同社内で「ポーポイジング」と呼ばれる。従来のシールド工法では、掘削機を地下へ降ろすための発進立坑と、引き上げるための到達立坑を掘る必要があり、この立坑の工事が全体の費用と工期を押し上げてきた。立坑を省けるという発想そのものは、工学として筋が通っている。
速度と費用の目標値は、読み方に注意が要る。同社はプルーフロックについて週1マイル超、すなわち週1.6キロメートル超を掲げ、これは旧世代機ゴドーの6倍にあたるとする。さらに中期の目標として1日7マイルという数字も語られてきた(The Boring Company)。費用は輸送用トンネルの総額で1マイルあたり800万ドル未満を目標とし、条件によっては400万から600万ドルという見通しも示されてきた。いずれも達成された実績ではなく目標である点は、同社の資料自体が示している。
より本質的なのは、この単価を都市鉄道と直接比べても意味をなさないことだ。ループのトンネルは内径がおよそ3.6メートルで、1車線分の車両が通れれば足りる。日本の地下鉄が1キロメートルあたり200億円から300億円という水準になるのは、断面が大きいことに加え、駅の躯体、換気設備、信号と電力の設備、避難通路、そして都市部の用地と補償が積み上がるからだ。断面を小さくし、駅を簡素にし、鉄道設備を持たなければ、単価は当然下がる。安く掘れることと、安く輸送できることは別の話であり、この二つを同じ数字で語る限り、比較は成立しない。
運賃を実際に負担しているのは誰か
事業の構造を見ると、この会社が売っているものが見えてくる。地元の観光振興を担う公的機関、ラスベガス・コンベンション・アンド・ビジターズ・オーソリティは、2019年に4,870万ドルの契約を同社と結び、これまでにおよそ4,700万ドルを支出してきた。運行についてはさらに年間450万ドルを支払っており、乗客1人あたりに割り戻すとおよそ7ドル50セントに相当する(Las Vegas Review-Journal)。一方、利用者が払う額は、1回1ドル50セント、1日券で2ドル50セント、リゾート施設発の1日券で5ドルという水準にとどまる。
この差額を誰が埋めているかに、事業の本体がある。乗客の運賃で回るのではなく、公的機関と、地下で自らの施設をつなぎたい大型ホテルやカジノが費用を負担する。停留所は計画上55か所に及び、施設側が自分の敷地に停留所を設ける形で網が伸びていく。地下網は交通機関というより、施設を結ぶ設備であり、購入者は乗客ではなく施設の運営者になる。同社が売っているのは、切符ではなく、建設と接続の契約である。
この構造がわかると、次の展開先の選び方も読める。ナッシュビルでは市街地と国際空港をおよそ9分で結ぶ計画が進み、ドバイでは6.4キロメートル、停留所4か所の試験区間が契約済みで、2026年後半の着工が予定されている(WION)。いずれも、意思決定が少数に集中し、公共調達の手続きが比較的短い相手だ。ボルティモアやシカゴ、ロサンゼルスで提示された案が長く動かないことと、この選定は表裏をなしている。
「約800件の違反」という数字の中身
規制との摩擦は、数字を分解すると輪郭がはっきりする。ネバダ州環境保護局は2025年9月22日、同社に対して違反行為の停止を求める通告を出した。理由は2022年に結んだ和解の条件に反したことで、内訳は、実施されなかった検査が689件、新たに確認された違反が100件である。あわせておよそ800件という数字が、この2年分の記録から積み上がった。具体的には、承認を得ずに掘削を始めたこと、処理していない水を市街の道路と排水設備へ流したこと、運搬中に掘削くずをこぼしたことが挙げられている(The Nevada Independent)。
科された額は24万2,800ドルだった。同じ違反に対して科しうる上限はおよそ300万ドルとされており、実際の処分はその1割に届いていない。件数の多さと処分の軽さの落差そのものが、この事案の性格を示している。
処分は一つではない。クラーク郡の下水処理を担う当局は、掘削に使う泥水を下水のマンホールへ投棄した件で49万3,297ドル8セントを科した。うち13万1,297ドル8セントは、当局が汚れを取り除くために費やした実費である。この件で重いのは金額よりも経緯で、同社はいったん是正したように装いながら、再び同じ行為に及んだところを押さえられている。さらに労働安全の分野では、トンネル内で化学物質を含む混合物にさらされた作業員15人から20人が発疹と熱傷を負った件で、11万2,000ドル超の処分が下されている。
罰金が消えた日、記録も一緒に消えた
日本でほとんど報じられていないのが、ここから先だ。2024年12月、クラーク郡の消防士2人が、訓練でトンネルに入った際、床にたまっていた掘削泥水に含まれる化学物質にさらされ、重度の熱傷を負った。傷痕は消えていない。ネバダ州の労働安全当局は、この件で同社に40万ドルを超える処分を科した。
処分が伝えられてから数時間のうちに、同社社長のスティーブ・デイビスがネバダ州知事ジョー・ロンバルドの執務室へ連絡を取る。翌日には、知事のインフラ調整担当をはじめとする州の高官と、同社幹部との面談が行われた。その後、処分は取り消された。そして、その面談を記録した公文書も消えた。知事直属の情報技術部門が電子データの解析で復元を試みたが、記録は戻らず、いつ誰が削除したのかも特定できていない(Fortune・Las Vegas Sun)。同社はこれまで、ネバダ州の労働安全当局に罰金を一度も納めていない。
続きも記録されている。連邦の規制当局は2026年2月、州当局が処分を取り下げた判断そのものは覆さなかった。ただし、違反の事実は裏づけられていたにもかかわらず州の立件に不備があったと指摘している(Las Vegas Sun)。2026年6月には州議会の一部から改めて調査を求める声が上がり、知事側は主張に根拠がないとして退けた(Nevada Current)。
技術の話をしていたはずが、いつのまにか制度の話になる。地下を掘る事業は、どの国でも、着工の許可、掘削中の監視、事故時の処分という三つの関門を通る。その三つ目が政治の介入で素通りできるのなら、一つ目と二つ目をどれほど精緻に設計しても意味をなさない。この事案が示しているのは掘削技術の限界ではなく、監督の仕組みが人の判断でどこまで緩むのかという、より根の深い問題である。
建てる意思のない提案 ― 本人が語った動機
もう一つ、都市伝説の類として扱われがちだが、本人の言葉として記録されている話がある。マスクが2013年に発表した高速輸送の構想ハイパーループについてだ。真空に近い管の中をカプセル型の車両が高速で走るというこの案は、当時、既存の鉄道を過去のものにする発想として世界に広まった。
だが伝記作家アシュリー・バンスの取材に対し、マスク本人は、この着想がカリフォルニア州の高速鉄道計画への嫌悪から生まれたものだと語っている。より踏み込んで、州議会に高速鉄道の計画を取り下げさせることが狙いであり、自ら建設する意図はなかったとも述べていた。この経緯は2015年刊行の伝記に記されている(Jalopnik)。
ここには、公共交通の計画に対して、より安く速く見える民間の代案を提示し、既存計画の政治的な支持を削るという型がある。ボーリング・カンパニーが各地で示してきた提案も、同じ位置に置くと理解しやすい。1マイルあたり800万ドル未満という数字が、都市鉄道の何十分の一という文脈で引用されるとき、その数字が断面も設備も違うものを比べていることは、たいてい省かれる。掘削費の議論が公共投資の是非に転用される瞬間に、技術の話は政治の道具になる。ハイパーループの試験用の走行路が2022年に撤去され、駐車場に戻された事実は、この型の帰結を静かに示している。
日本の掘削産業から見える座標
日本の読者にとって、この事案は遠い話ではない。地中を掘る技術で、日本は長く先頭にいた。川崎重工業は1957年から、日立造船は1967年からシールド掘削機を手がけ、それぞれ1,400基超、1,300基超を納めてきた。両社は2021年に事業を統合し、海外市場を狙う体制へ移している。泥土圧を使って切羽を安定させる方式など、都市の軟弱な地盤を安全に掘る技術は、日本の現場が磨いてきたものだ。
その足元が揺らいでいる。世界のシールド掘削機の市場では、ドイツのヘレンクネヒトがおよそ3割を占め、中国勢の伸びが著しい。中国の建設機械大手1社だけで2割近くを握り、いま世界で使われる掘削機の10台のうち7台が中国製という状況が生まれている。技術を確立した国と、量で市場を取る国は、すでに入れ替わっている。
そして、浅い地下を掘ることの重さを、日本は身をもって知っている。2020年10月18日、東京都調布市の住宅街で道路が陥没した。縦およそ4メートル、深さおよそ5メートル。地下では東京外郭環状道路のシールド掘進が進んでいた。有識者による委員会は、砂れきの地盤で掘削機が土砂を取り込みすぎたことを挙げ、この工事が要因の一つだとする中間報告をまとめた。衛星の観測データからは、掘削機の通過直後に周辺で2センチメートルから3センチメートルの沈下と隆起が生じていたことが確認されている(日本経済新聞)。補償と地盤の補強のために、周辺の住宅50戸が立ち退く事態にまで至った。
住宅の下を浅く掘ることの代償は、掘削費の見積もりには現れない。地盤の挙動を測り続け、沈下の兆候があれば掘進を止め、住民に説明し、必要なら補償する。この一連の手続きこそが、日本の都市トンネルの単価を押し上げてきた中身であり、同時に、住宅街の下を掘ることを可能にしてきた条件でもある。ラスベガスの地下で積み上がった約800件の記録は、その手続きを省いたときに何が起きるかを、別の形で示している。地下を安く掘る技術そのものには価値がある。それが、監視と処分の仕組みごと安くしてよいという話にすり替わった瞬間に、費用は目に見えない場所へ移るだけになる。
💬 この記事へのコメント 0
まだコメントはありません
最初のコメントを投稿してみましょう!⚠️ エラーが発生しました