日本の名目国内総生産は1995年の5.6兆ドルから2025年に4.4兆ドルへ減った。だが円建てでは26パーセント増えている。起点の年の選び方と為替を分解し、日本が失った領域と握り直した要衝を検証する。

日本の名目国内総生産を1995年と2025年で並べた比較が広く引かれている。1995年の日本は5.6兆ドルで、日本を除くアジア3.9兆ドル、東欧0.8兆ドル、アフリカ0.8兆ドルの合計を上回っていた。2025年は4.4兆ドル、30年前から21.4パーセントの減少。そして同じ年、中国の4つの地域の合計5.1兆ドルが、日本1国を上回った。

この比較には注記が添えられている。数字は現在の米ドル建てであり物価の調整はしていないこと、そして円安が米ドル建ての国内総生産の減少に寄与したこと。出し手はこの点を認めている。

だが数量化はしていない。本稿はそこから始める。円安が「寄与した」のか、それとも減少の全部を作ったのか。答えは割り算で出る。扱うのは兆円、為替の水準、市場占有率、そして供給の集中度である。

1995年と2025年の数字を、注記まで含めて書き出す
1995年と2025年の数字を、注記まで含めて書き出す

1995という起点は、円が戦後最高値を付けた年である

分解に入る前に、比較の起点そのものを検める必要がある。

1995年4月19日、円は1ドル79円75銭を付けた。これは戦後の最高値であり、以後30年間、この水準を超えたことはない(経済産業研究所)。年間の平均で見ても1ドル94円前後で、日本円が最も強かった年に当たる。

米ドル建ての国内総生産は、円建ての値を為替で割って作る。分母が歴史上最も小さかった年を起点に選べば、そこから先はどう転んでも目減りして見える。1995年という起点は、「日本が巨大だった」という主張にとって、選びうる中で最も有利な年である。

作り手が意図してそうしたと言っているのではない。1995年は資産価格の崩壊から5年が経ち、後の低迷が始まる境目として、物語の起点に選ばれやすい年でもある。ただし、その年が同時に為替の頂点でもあったという事実は、注記に書かれていない。

もう1つ、この比較が扱っていない論点がある。1995年の円高は名目の話で、物価の差を調整した実質実効為替相場で見ると、その後およそ3割弱い水準へ移っている。名目で見た円の高さと、実際に買えるものの量は、同じではない。

起点の年をどう選ぶかで、見える絵が変わる
起点の年をどう選ぶかで、見える絵が変わる

為替を分解すると、目減りの全部が説明される

米ドル建ての国内総生産は、自国通貨建ての国内総生産を為替の水準で割って作る。日本の場合、円建ての値を1ドルあたりの円の値で割る。つまり2つの変化が掛け合わさる。

1995年の日本の名目国内総生産は、円建てでおよそ526兆円。同年の平均為替は1ドルおよそ94円だった。割ると5.6兆ドルになり、公表値と一致する。

2025年の名目国内総生産は663.8兆円(内閣府 国民経済計算)。同年の平均為替を1ドル151円前後とすると、割った値は4.4兆ドル。これも公表値と一致する。

ここで2つの変化を分けて見る。円建ての国内総生産は526兆円から664兆円へ、26.2パーセント増えている。一方、為替の要因は94を151で割った0.623倍。この2つを掛けると、1.262×0.623=0.786。1から引くと21.4パーセントの減少になる。公表されている値と、小数第1位まで一致する。

減少の全部を為替が作っている。より正確には、為替が作った目減りが、円建ての成長を打ち消したうえで、さらに21.4パーセント削った形になる。仮に為替が1995年の水準のままだったなら、2025年の値は5.6兆ドル×1.262で7.07兆ドルになっていた。

そして、比較の相手側でも同じ操作が働いている。ここはほとんど論じられていない。人民元の対ドル相場は1995年の平均が1ドル8.37元、2025年の平均が7.19元。円が4割近く弱くなった同じ30年に、人民元は14パーセント強くなった。

米ドル建てで比べたとき、日本には0.623倍の逆風が、中国には1.164倍の追い風が同時にかかっている。両者の比を取ると1.87倍。ドル建てで見た日中の開きのうち、相当な部分が生産量の差ではなく通貨の向きの差である。

この計算は、公表値が誤っていると言うためのものではない。米ドル建ての国内総生産は、国際市場での購買力を測る指標として正しく機能している。輸入代金の支払い能力、国際機関への出資比率、海外での買収に使える原資は、いずれもこの尺度で決まる。円安によってそれらが本当に縮んだことは、事実である。

同時に、この尺度は国内で生産された量の変化を測っていない。同じ経済を別の尺度で見ると、逆の符号が出る。どちらか一方を「実像」と呼ぶ扱い方が、議論を混乱させている。

為替を分解すると、21.4パーセントが再現される
為替を分解すると、21.4パーセントが再現される

4つの尺度と、購買力平価が出す逆の答え

尺度を整理する。同じ国の経済に対して、少なくとも4つの測り方があり、それぞれ答えている問いが違う。

米ドル建ての名目国内総生産は、国際市場でどれだけ買えるかを測る。自国通貨建ての名目国内総生産は、税収の基盤と債務の返済能力を測る。実質国内総生産は、物価の変動を除いた生産量そのものを測る。購買力平価で換算した国内総生産は、国内での生活水準を比べるために作られている。

日本の2025年について並べると、名目663.8兆円に対し実質は591.7兆円。差の72兆円あまりが、物価の上昇によって名目が押し上げられた分にあたる。円建ての名目が26.2パーセント増えたという先ほどの数字には、この物価の効果が含まれている。生産量そのものの伸びは、これより小さい。

購買力平価に移すと、直感に反する結果が出る。2025年の名目では中国が日本のおよそ4.68倍だが、購買力平価では中国41兆160億国際ドルに対し日本6兆7,580億国際ドルで、6.28倍に開く(StatisticsTimes)。物価の水準を調整すると、差は縮まるどころか広がる。

理由は物価の水準にある。購買力平価は、国内で同じものを買うのに要る金額の差を調整する仕組みで、国内の物価が低い国ほど換算後の値が押し上げられる。中国の国内物価は日本より低いため、同じ生産量がより大きな数字になる。総額の比較において、購買力平価は日本を救わない。

ただし1人あたりに割り戻すと、また逆転する。購買力平価で日本はおよそ5万5,000国際ドル、中国はおよそ2万9,000国際ドル。1人あたりでは日本がおよそ1.9倍になる。

この整理を怠ると、2つの誤りが起きる。1つは、米ドル建ての減少を生産量の減少と読むこと。もう1つは、円建ての増加や購買力平価の総額を、生活水準の話と混ぜること。どちらも、その尺度が答えていない問いに答えを求めている。

4つの尺度と、それぞれが答えている問い
4つの尺度と、それぞれが答えている問い

1995年に日本が置かれていた位置と、そこへ至る道筋

比較の起点となる1995年を、対象記事の記述に沿って確認しておく。この年、ソビエト連邦の崩壊から間もない時期にあり、日本は名目の国内総生産で米国に次ぐ世界第2位の座に落ち着いていた。

日本は非西洋の国として最初に工業化を達成した国であり、地域における経済の主導権を長く握っていた。戦後の復興と、世界中で求められた高品質で付加価値の高い輸出品が、その位置を支えた。1980年代には、日本が最終的に米国の経済的な指導力に挑みうると見る観測が広く出ていた。日本企業は家庭用の電子機器から自動車まで幅広い産業で優位に立ち、東京は企業経営と技術の卓越さと同義に扱われた。

1990年の資産価格の崩壊を境に、この動きは止まる。以後の数十年は失われた数十年と呼ばれるようになった。この期間、名目の国内総生産は円安の影響も受けて減り、実質の成長は這うような速度まで落ち、国の債務は膨らんだ。

東シナ海をはさんだ対岸では、別の巨大な経済が立ち上がっていた。改革開放の時代を通じて、中国は21世紀の初頭を通して年平均で少なくとも7パーセントの成長を続け、世界の供給網の姿を作り変えた。20世紀の大半を通じて貧しく未発達だった国が、2010年に名目で日本を追い抜き、世界第2位になる。

2025年時点で日本は世界第4位の経済である。順位が下がった事実と、円建てで増えている事実は、両立している。

1986年に置かれた数値目標と、日本が明け渡した領域

対象記事は米国側の対応に触れている。日本車と半導体の輸出に対する規制、そしてプラザ合意。1985年の合意によって円は対ドルで急激に上昇し、その後の政策対応が資産価格の膨張につながったという整理は、広く共有されている。

ここで名前が挙がっていないものが1つある。1986年9月2日に署名された日米半導体協定である。

この協定で日本政府は、日本市場における外国資本系企業の半導体の販売が、5年以内に少なくとも20パーセントをやや上回る水準まで伸びるという米国側の期待を認識する、という文言を受け入れた。日本側の交渉担当者は、これが市場占有率についての確たる約束を含むものではないと主張し続けた。

米国側の判断は違った。1987年3月27日、レーガン政権は第三国での不当廉売が続き、日本の半導体市場への参入も依然として不公正に制限されていると結論づけ、日本製の電子製品に対する報復関税を科した。米国の対日市場占有率は伸びるどころかわずかに低下していた、というのが根拠である。

一国の政府が、他国の国内市場における外国製品の占有率に数値目標を置き、達成されなければ関税で報復する。この構造が、いま輸出管理という別の形で中国へ向けられているものの、直接の先祖にあたる。当時と現在で違うのは、目標の向きが「入れさせる」から「出させない」へ反転している点だけだ。

そのあと何が起きたかを、市場占有率の推移で確認する。日本の半導体の世界における占有率は1988年に頂点を打った。全種類の合計でおよそ51パーセント、米国のおよそ37パーセントを上回っている。ここが最も高い場所だった。

主戦場だった記憶素子では、動きがさらに急である。1978年から1986年にかけて米国の占有率が7割から2割へ落ち、同じ期間に日本が3割弱から75パーセントへ上がった。そして1987年の75パーセントから2001年の20パーセントへ、14年で逆の道をたどる。この間に伸びたのは韓国で、およそ5パーセントから40パーセントへ移った。

日本が失ったのは記憶素子という完成品の領域であり、その空席を埋めたのは米国ではなく韓国だった。協定と関税が直接に韓国を利したわけではない。ただ、価格で競う余地を狭められた側から順に脱落したという順序は、記録に残っている。

1986年の数値目標と、そのあとに起きた占有率の移動
1986年の数値目標と、そのあとに起きた占有率の移動

4つの地域が日本を上回るという比較に、欠けている分母

2025年の比較を確認する。広東2.1兆ドル、浙江1.4兆ドル、福建0.8兆ドル、上海0.8兆ドルで合計5.1兆ドル。日本の4.4兆ドルを上回る。中国全体はおよそ20兆ドルで、日本のおよそ5倍。2010年に名目で日本を抜き、世界第2位になった。

この比較には2つの注記が付いている。出典の注記によれば、4地域の値は中国国家統計局が公表した2025年の公式平均為替で米ドルへ換算したものであり、2025年の数字は暫定値を含む可能性がある。前節で見たとおり、人民元の水準がこの換算に効いている。

そして、出典が示していない分母がある。人口だ。広東はおよそ1億2,700万人、浙江およそ6,600万人、福建およそ4,200万人、上海およそ2,500万人。合計しておよそ2億6,000万人になる。日本はおよそ1億2,300万人である。

割り戻すと構図が変わる。2億6,000万人が5.1兆ドルを生み、1億2,300万人が4.4兆ドルを生んでいる。1人あたりでは、日本がおよそ2.1倍になる。

総額で上回ったという事実は動かない。国際市場での購買力、輸入の規模、投資に回せる原資は総額で決まるからだ。同時に、1人あたりの生産性という別の問いに対しては、この比較は逆の答えを出す。この比較が総額だけを並べているのは、答えようとしている問いが総額だからである。

4地域と日本を、総額と1人あたりの両方で見る
4地域と日本を、総額と1人あたりの両方で見る

国内総生産が測らないもの ― 止められるかどうかを数値にする

ここから、これらの数字では見えない指標に移る。AI基盤の供給網を扱う実務では、こちらのほうが日々の判断に効く。

国内総生産は、ある場所で生み出された付加価値の合計を測る。測っていないのは、その供給元を他に置き換えられるかどうかである。この2つは独立している。付加価値が小さくても、置き換えが効かなければ、止まったときに巨大な産業が動かなくなる。

具体例で見る。極端紫外線を使う露光工程に不可欠な感光材について、日本の企業が世界の高性能品のおよそ9割から9割5分を供給している。この材料の市場規模そのものは、半導体産業の全体から見れば小さい。だが供給が止まれば、最先端の半導体は1枚も作れない。

半導体の土台になるシリコンの円板でも同じ構図がある。直径300ミリの円板について、信越化学工業が世界の28パーセント超、サムコが23パーセント前後を占め、2社の合計で世界の生産能力の過半になる。信越の月産はおよそ220万枚、サムコがおよそ180万枚。2社は2025年に、2ナノメートル級と3ナノメートル級に向けた超平坦品の能力を月20万枚追加するため、1,500億円規模を投じている。

後工程の装置でも、半導体を薄く削り切り分ける工程で日本の1社が世界の7割から8割を握る。受動部品、実装基板、放熱部品にも同じ集中が見られる。

これらを合計しても、日本の国内総生産に占める比率は大きくない。にもかかわらず、AI基盤を構成する7つの層のうち5つに日本の企業が現れる。付加価値の大きさと、止める力の大きさが、まったく別の分布をしている。

供給網を設計する側にとって、国別の国内総生産の順位は、調達の判断にほとんど使えない。代わりに要るのは、供給元ごとの置き換えにくさを数値にした指標である。作り方は3つの掛け算になる。第1に、その供給元が世界の供給に占める比率。第2に、別の供給元へ切り替えるのに要する期間。第3に、切り替え先の品質を自社の工程で承認するまでに要する費用と工数である。

3番目が実務では最も重く効く。半導体の材料や装置では、供給元を変えると工程の条件をすべて取り直す必要が生じる。同じ規格の製品でも、微細な差が歩留まりに出るためだ。承認に半年から2年かかることは珍しくない。市場占有率が5割の供給元でも、承認に2年かかるなら、実質的な依存度は9割の供給元と変わらない場面がある。

3つの掛け算のうち、公表資料から取れるのは1番目だけである。2番目と3番目は自社の工程に固有の値で、外部からは見えない。この指標は、外部の統計を眺めているだけでは作れない。自社で承認の記録を残している組織だけが持てる。

付加価値の大きさと、止める力の大きさは別の分布をする
付加価値の大きさと、止める力の大きさは別の分布をする

同じ経済を、2つの尺度で見ると符号が反転する

21.4パーセントの減少という値は、正しく計算されている。米ドル建てで測るという前提のもとで、日本が国際市場で持つ購買力は確かに縮んだ。

同じ経済を円建てで測ると26.2パーセント増えている。この2つは矛盾していない。掛け算の一方の項だけを見ているか、両方を見ているかの違いである。注記が「円安が寄与した」と書いたのは、この構造への言及だった。ただし数量化されていなかったため、寄与の大きさが伝わらない形になっている。

比較の起点が円の戦後最高値の年であったこと、相手側では通貨が逆方向に14パーセント動いたこと、購買力平価に移すと総額の差はむしろ広がり1人あたりでは逆転すること。この3つは、いずれも同じ1組の数字から出てくる。どれか1つだけを引くと、別の絵になる。

どちらの尺度でも測れないものもある。感光材の9割、円板の過半、後工程の装置の7割から8割。これらは国内総生産にほとんど現れないが、止まれば世界の最先端の生産が動かなくなる。

1986年に米国が日本の市場占有率に数値目標を置いたとき、対象は完成品としての半導体だった。その戦いで日本は記憶素子の75パーセントを20パーセントまで明け渡し、空席は韓国が埋めた。同じ40年で日本が握り直したのは、完成品の手前にある材料と装置である。主導権を失った、という記述は総額の順位表においては正確で、供給網の要衝においては当てはまらない。