注意機構の論文が示した数字のうち、75%という削減率だけは実験結果ではない。4層のうち3層を線形注意に置き換えれば、長さに比例して膨らむ記憶は残り1層分だけになる。層の割合を決めた時点で答えの出ている割り算である。

Moonshot AIが公開した「Kimi Linear」は、文脈が長くなるほど計算量が膨らむ注意機構の制約に、層の組み合わせで答えを出した。総パラメータ480億・活性パラメータ30億の検証モデルで、条件を揃えた比較の全課題において従来型の注意機構を上回り、100万トークンでの生成の処理能力を最大6倍にしたと報告している。本稿は論文の数値を一次資料から取り直したうえで、報じられ方と論文自身の条件の差を確かめ、さらにこの効率化が電力とメモリーの需要にもたらす影響までを、公的統計と有価証券報告書で測る。モデルの構造そのものはK3技術報告書の解剖で扱ったため、本稿は注意機構と、その先にある電力とメモリーに絞る。

75%は最適化の成果ではなく、4層に1層という層構成の割り算

すべての語が互いを参照する従来型の注意機構(フルアテンション)では、処理した語をすべて記憶に残す必要がある。この記憶がKVキャッシュで、文脈が長くなるほど比例して増え、100万トークンともなればGPUの記憶容量の大半を占める。対する線形注意は、過去を一定の大きさの状態にまとめる。状態の大きさは文脈長に依存しないため、記憶は一定に保たれる。かわりに、まとめた時点で細部が失われる。線形注意が長らく成績で劣ってきた理由がここにある。

Kimi Linearの構成は、公開された重み(Kimi-Linear-48B-A3B)の記述で確認できる。KDA層を3層置いたあとにMLA層を1層置く、3対1の並びを繰り返す。さらにMLA層からは語の位置を示す符号を外し、位置の扱いをKDA側へ寄せている。この構成では、文脈長に比例して膨らむ記憶を持つのは4層に1層だけとなる。残りの4分の3はKDA層で、状態は固定長である。75%という削減率は、ここから直接導かれる。実験で得られた最適化の幅ではなく、層の割合をそのまま反映した数字である。

この読み方が生きるのは、他の設計を評価するときである。仮に比率を2対1にすれば削減率は約67%、7対1にすれば約88%になる。削減率と成績はこの比率の上で相反しており、Moonshot AIは3対1を選んだ。数字の出どころを知っていれば、次に別の研究陣が「80%削減」と発表したときに、それが層構成の変更なのか記憶そのものの圧縮なのかを、発表資料を見ずに切り分けられる。

1.4兆トークンで条件を揃えた比較、MMLU-Pro 51.0とRULER 84.3

論文が掲げる成績は、学習トークン数1.4兆で条件を揃えた比較である。文脈長4,000のMMLU-ProでKimi Linearは51.0、比較対象のGDN-H(Gated DeltaNetの混成型)が47.9、従来型のMLAが47.2。文脈長128,000のRULERではKimi Linearが84.3で、同時に3.98倍の加速を得た。MLAは81.3、GDN-Hは80.5である。

この並びには見落とせない点がある。RULERにおいてGDN-H(80.5)は従来型のMLA(81.3)に負けている。長文脈で線形注意の混成が従来型に劣るという構図が、比較対象の側では再現されている。その同じ条件でKimi Linearだけが84.3へ抜けた。短文脈のMMLU-Proでも、混成2種がともにMLAを上回った点と合わせると、KDAの寄与は加速だけでなく成績にも表れている。

同時に、論文が主張している範囲は限定されている。比較は同一の学習手順・同一の学習量で行われた検証用の規模のモデル(活性パラメータ30億)であり、最前線の巨大モデル同士の総合比較ではない。公開情報を追う限り、この構造はのちに同社の主力モデルへ引き上げられているが、論文そのものが示したのは「条件を揃えれば線形注意の混成が従来型を上回りうる」という一点である。交流サイトなどの紹介で見かける「AIの歴史上初めて、あらゆる指標で上回った」という書き方と、論文の条件付きの主張は分けて扱う必要がある。

Kimi Linearの性能と加速、および文脈長ごとの生成時間
Kimi Linearの性能と加速、および文脈長ごとの生成時間

100万トークンで1.84ミリ秒対11.48ミリ秒、差は文脈長とともに開く

効率については、1トークンを生成するのにかかる時間で示されている。文脈長4,000ではKimi LinearとMLAの差はほとんどない。差が開くのは長い文脈で、128,000で4.8倍、512,000で5.7倍、100万トークンで6.3倍となる。100万トークン時点の実測はKimi Linearが1.84ミリ秒、MLAが11.48ミリ秒である。

この形が意味するのは、短い対話では効率化の恩恵がほぼ生じないことである。恩恵は、長大な資料の読み込み、開発中のプログラム全体の参照、そして長い思考を伴う推論といった、文脈が伸びる用途に集中する。加速の効果が用途によってこれほど偏る以上、「推論費用が6分の1になる」という一般化はできない。

Gated DeltaNetの何を細かくしたのか

KDAの出発点は、2024年12月に公開されたGated DeltaNetである。これは状態空間モデルの減衰ゲートと、デルタ則による記憶の書き換えを組み合わせた線形注意で、古い記憶を減衰させつつ新しい情報で置き換える仕組みを持つ。KDAはこの減衰の刻みを細かくした。有限の状態しか持てない再帰型の記憶において、どの成分をどれだけ忘れるかをより細かく制御できれば、限られた容量の使い方が改善する。

計算の面では、遷移行列に「対角行列に低ランク項を加えた」形(Diagonal-Plus-Low-Rank)の特殊な形を採用し、一定の区切りごとに処理する専用の演算処理を用意した。この形の一般的な扱い方に比べて計算量を大きく削りつつ、古典的なデルタ則との整合を保つ、というのが論文の説明である。ここは実装の質が成果を左右する領域で、同社がKDAの演算処理(カーネル)と推論基盤vLLM向けの実装まで公開した意味は小さくない。手元で再現できる形で公開された演算処理は、追随する研究の速度を上げる。

効率が6.3倍になっても、電力需要が6分の1にならない理由

投資家にとっての本題は、この効率化が発電設備の需要をどう動かすかである。米国のデータセンター需要は、ブルームバーグNEFの推計で2025年末の47ギガワットから、AIチップの出荷計画に基づけば2033年に207ギガワットへ向かう。一方でバンク・オブ・アメリカの試算では、電力会社が確実に上積みできる供給力は今後5年で約93ギガワットにとどまり、100ギガワット超が不足する。この差し引きと敷地内発電という当座の対応は前稿で検証した。

推論効率の改善は、この不足を埋める唯一の需要側の手立てになりうる。ところが数字の作られ方を見ると、そう単純ではない。第1に、ブルームバーグNEFの推計はチップの出荷枚数と1枚あたりの消費電力から組み立てられている。1枚のGPUがより多くのトークンを処理できるようになっても、出荷枚数が減るわけではない。効率化が変えるのは、同じ電力から得られる価値であって、電力そのものの量ではない。

第2に、消費電力は処理の速さに単純には比例しない。GPUは稼働中ほぼ上限に近い電力を引く。生成時間が6.3分の1になれば1トークンあたりの消費電力量は下がるが、空いた時間は次の要求で埋まる。記憶に余裕が生まれれば同時に処理できる要求数が増え、稼働率はむしろ上がる。

第3に、歴史がこれを裏づける。文脈長は8,000から100万へ、思考の長さは数百トークンから数万トークンへ伸びてきた。効率化のたびに、余った分は長い文脈と長い思考へ振り向けられている。石炭の利用効率が上がるほど消費量が増えた19世紀の英国の観察(ジェボンズの逆説)と同じ構図である。

層構成が生む75%と、電力需要に効かない3つの理由
層構成が生む75%と、電力需要に効かない3つの理由

原子力や電源への投資判断にとって、この整理は方向を変えるものではない。効率化は1ワットあたりの処理量を増やすが、必要な発電容量を減らす保証はない。柏崎刈羽6号機の営業運転入りや小型原子炉への期待が示す時間軸と、注意機構の改良が進む時間軸では、後者が桁違いに速い。速い側の改善を理由に遅い側の投資を止めれば、実際には需要が伸びたときに供給が間に合わない。電源側の個別銘柄の位置づけは90銘柄の全数照合で仕分けてある。

メモリーの側で何が起きるか、日本の3社を有価証券報告書で見る

KVキャッシュはGPUに載る広帯域メモリー(HBM)を占める。75%削減が広く実装されれば、同じHBM容量でより多くの要求を処理できるようになる。これはメモリー需要にとって逆風にも見えるが、内訳を分けると話が変わる。HBMを消費するのは、KVキャッシュだけではない。モデルの重みそのもの、学習時の勾配と最適化の状態、そして推論時の中間結果がある。480億パラメータのモデルでも重みは数十ギガバイト規模を占め、この部分は注意機構の改良では減らない。

日本勢の立ち位置を有価証券報告書の実数で確認する。EDINETから2026年3月期を取ると、キオクシアホールディングスは売上収益2兆3,376億円・営業利益8,704億円。同社の主力はNAND型フラッシュメモリーで、KVキャッシュの増減が直接効く領域ではなく、長期保存側の需要を受ける。HBMの検査で恩恵を受けるアドバンテストは売上1兆1,286億円・営業利益4,991億円・研究開発費781億円。積層数が増えるほど検査工程は重くなるため、KVキャッシュが減ってもHBMの積層競争が続く限り需要は残る。装置側の東京エレクトロンは売上2兆4,435億円・営業利益6,249億円・研究開発費2,779億円である。

銘柄 (証券コード)推論効率化との関係2026年3月期 (EDINET)
キオクシアホールディングス (285A)NAND型が主力。KVキャッシュの増減の影響は間接的で、長期保存側の需要を受ける売上収益2兆3,376億円・営業利益8,704億円
アドバンテスト (6857)HBMの検査。積層数が増えるほど工程が重くなるため、容量効率の改善とは別の軸で需要が伸びる売上1兆1,286億円・営業利益4,991億円
東京エレクトロン (8035)前工程装置。メモリーの生産能力そのものに直結し、効率化より投資計画に左右される売上2兆4,435億円・営業利益6,249億円

メモリーの市況そのものは、供給側の事情で締まっている。DDR5の指標品は2026年7月に1個24ドルと調査開始以来の高値を付け、大手2社が利幅の大きいHBMへ生産能力を寄せた結果、汎用品が構造的に不足した。この経緯と中国勢の追い上げは別稿で追っている。注意機構の改良が需要側を数割動かしても、供給側の逼迫が数年単位で続く構図は変わらない。

480億の重みが公開されたことの意味

論文と同時に、KDAのカーネル、vLLM向けの実装、そして事前学習済みと指示調整済みの重みが公開された。総パラメータ480億・活性パラメータ30億という規模は、最前線の巨大モデルには遠く及ばない一方、単体のGPUサーバーで動かせる範囲にある。研究機関でも企業の実験環境でも、そのまま試せる大きさで公開された点に、この公開の実務的な価値がある。

日本の事業者にとっての含意は具体的である。長文脈の処理費用が下がれば、社内文書や設計資料を丸ごと読ませる用途の採算が変わる。100万トークンの文脈を1トークンあたり1.84ミリ秒で処理できるなら、10万トークンの資料を読ませて1万トークンを生成する処理は、生成側だけで18秒台に収まる。同じ処理を従来型で行えば2分近くかかる。この差は、社内で常時動かす仕組みを作れるかどうかの境目に位置する。

観察点を3つに絞る。第1に、3対1という比率が他の研究陣によって追試され、削減率と成績の兼ね合いがどこで折り合うか。第2に、線形注意の混成が最前線の規模でも成立し続けるか、すなわち検証用の規模で見えた優位が規模を拡大しても保たれるか。第3に、推論費用の低下が長い文脈と長い思考へ振り向けられる速さである。1トークンあたりの費用が下がっても、1回の処理で使うトークン数がそれ以上に増えれば、データセンターに必要な電力は減らない。設計図の上で確定した75%と、現場で測られる消費電力は、別の数字である。