サムスンが1兆6,000億ウォンを投じた工程情報は、6年間で29億ウォンの報酬と引き換えに運ばれた。韓国の法廷が記録したこの交換比率は56分の1である。買った側のCXMTは今夏、上海上場で1.6兆円を集めた。

中国半導体の急成長を語るとき、国家補助金と巨大市場だけを見ると半分しか見えない。もう半分を、ソウル中央地裁の判決文と、2026年8月に報じられた法廷証言が埋めた。本稿は判決が確定させた事実関係を起点に、CXMTの現在の規模、価格支配が反転した瞬間、日本の制度と関連銘柄への射程、そして先行事例としてのレアアースまでを、開示書類と公的統計の実数でたどる。人権と制度の話も避けずに扱う。安さの原価がどこで発生しているかを知らずに、調達の判断はできないからである。

懲役7年判決が記録した「研究所なき創業」

ソウル中央地裁は2026年4月22日、産業技術保護法違反などの罪に問われたサムスン電子の元研究員(56)に懲役7年の実刑判決を言い渡した。流出したのは、サムスンが約1兆6,000億ウォン(約1,700億円)を投じて世界で初めて開発した回路線幅10ナノメートル台DRAMの工程情報で、韓国紙の毎日経済によれば約600段階の製造工程と使用装置、条件値まで含まれていた。被告は移籍の契約金3億ウォンに加え、ストックオプションを含め6年間で計29億ウォン(約3億1,000万円)を受け取っている。判決は「韓国の大企業が巨額を投じて開発した重要情報を外国企業に使わせ、企業だけでなく韓国全体に損害を負わせた」と述べた。

さらに踏み込んだ話が2026年8月、関連する公判の証言として報じられた。サムスンに28年勤めた後の2016年前後にCXMTへ移ったこの元技術者は法廷で、創業当時のCXMTには基礎的な研究設備すらなく、独自研究で開発する計画も存在せず、サムスンの工程情報(プロセスレシピ)の入手が設立当初からの事業計画だったと述べた。技術の獲得が開発の途中で生じた誘惑ではなく、事業の設計図そのものだったという主張である。証言は聯合ニュースや毎日経済が伝えた公判記録であり、CXMT自身の法的責任が韓国の裁判所で確定したわけではない点は明記しておく。それでも、有罪が確定した流出経路の到達先がどこであったかについて、争いはない。

引き抜きによる工程情報の獲得が何を短縮するかは、装置の据え付けから量産までの歩留まり立ち上げを考えると分かる。DRAMの製造では、数百の工程それぞれに装置の条件値があり、その組み合わせの探索に各社は年単位の時間と巨額の試作ウエハーを費やす。答えを先に持っていれば、探索そのものを省略できる。サムスンの1兆6,000億ウォンは素材と装置と人件費に消えた探索の総額であり、29億ウォンはその答案の運搬費にすぎない。

サムスンからCXMTへ、工程情報が運ばれた経路と成長の連鎖
サムスンからCXMTへ、工程情報が運ばれた経路と成長の連鎖

科創板で1.6兆円、時価総額は中国工商銀行を超えた

到達先の現在地を数える。CXMTは2026年7月27日、上海証券取引所の科創板へ上場した。調達額は最大666億元(約1兆6,000億円)と2026年のアジア最大の新規上場で、公募価格8.66元に対し初値は5.7倍の49.5元。終値ベースの時価総額は3兆2,800億元に達し、上場初日に中国工商銀行を上回って中国市場の首位に浮上した。国有銀行の頂点を半導体メーカーが飛び越えるという光景自体が、この会社に張られた国策の厚みを示す。

生産の数字はさらに直接的である。ウエハー投入能力は2020年の月産4万枚から2025年に約26万5,000枚へと5年で6.6倍になり、2026年末には35万枚と、世界3位マイクロンの約38万5,000枚に迫る計画が伝えられている。世界DRAM市場での売上高シェアは約8%で世界4位。今年半ばには旧世代のDDR4を段階的に打ち切り、DDR5と広帯域メモリーHBMへ軸足を移す方針で、追う対象は汎用品ではなく、AIデータセンターが奪い合う先端メモリーそのものである。地方政府の出資、先端プロセス企業への法人税の長期免除、そして上場による1.6兆円。研究開発の出発点を流出情報に置いたという法廷証言と、この資本の厚みを重ねたものが、「驚異的な成長」の正体である。

日本の読者にとって他人事でない理由も数字にある。DRAM世界シェアの構図とマイクロン広島の1.5兆円投資は別稿の検証に譲るが、CXMTの上場を伝えた日経の記事の見出しは「キオクシアにも紅い刺客」だった。NANDで戦うキオクシアにとっても、DRAMの隣で起きたことは自社の未来図である。

「安いから買う」が崩れた日、CXMTはAppleの値下げ要求を拒んだ

対象となる脅威は「安値でシェアを奪われる」段階にとどまらない。2026年の市場は、依存が成立した後に何が起きるかまで実演して見せた。

DRAMの大口契約価格は2026年1〜3月期に前年同期比で約2倍になり、7月には指標品のDDR5 8ギガビットが24ドルと調査開始以来の最高値を付けた。サムスンとSKハイニックスが利幅の大きいHBMへ生産能力を寄せた結果、パソコンやスマートフォン向けの汎用DRAMが構造的に不足したためである。この局面でAppleは、iPadやMacBookの製品価格を押し上げるメモリー高騰への対応として、米国防総省の中国軍事企業リスト(1260Hリスト)に載るCXMTからDRAMを調達する承認をトランプ政権に働きかけた、と英紙フィナンシャル・タイムズが2026年6月に報じた。下院中国特別委員会のモレナー委員長は「CXMTとの提携は重大な過ちになる」と公然と警告している。

続報はさらに示唆的である。CXMTはAppleの値下げ要求に応じなかったと報じられた。作れば高値で売れる市況で、値引きする理由がないからである。「中国製は安い」を入口に依存を深めた先に待つのは、安さの持続ではなく、供給の元栓を握った側への価格決定権の移転だと、世界最大の時価総額を持つ企業が身をもって示した。1260Hリストをめぐる経緯も付記しておく。CXMTは2025年1月の更新でリストに載り、2026年2月にYMTCとともに一時削除されたが、議会の強い批判で更新自体が撤回され、6月11日の更新で188社に拡大したリストに再掲載された。削除の動きが出るたびに議会が押し戻すという綱引き自体が、この会社の位置づけを物語る。同社の指定経緯は制裁・規制データベースの台帳に、企業情報は企業データベースに整理してある。

特定重要物資の11分野と、依存の計算式

日本政府が半導体を経済安全保障推進法の「特定重要物資」に指定したのは2022年12月20日の閣議決定で、対象は半導体、蓄電池、永久磁石、重要鉱物、工作機械・産業用ロボット、航空機部品、クラウドプログラム、天然ガス、船舶部品、抗菌薬、肥料の11分野である。半導体と並んで永久磁石と重要鉱物が入っている事実は後段で効いてくるので覚えておいてほしい。

半導体が「特定重要」とされる理由は用途の一覧がそのまま説明になる。スマートフォンだけでなく、自動車、AIデータセンター、通信網、電力網の制御、ミサイルの誘導、レーダー、ドローン、人工衛星まで、現代国家の産業と防衛の基盤は半導体の上に載る。AIデータセンターは中でも増分需要の中心で、国内データセンターの立地一覧が示すとおり日本でも建設が続くが、そこに実装されるDRAMとHBMの供給元が誰かという問いは、電力や用地と同じ重さの立地条件である。

依存の計算式は単純である。国家支援を背景にした安値でシェアを奪われ、日本・韓国・台湾のメーカーが撤退した後に残るのは、価格決定権と供給停止権を他国に譲り渡した供給網である。目先の数百円、数千円の調達差益と引き換えに失うものを、Appleの一件は先取りして見せた。安全保障の語彙を使わなくても、これは損益計算の問題として成立する。撤退したラインは戻らず、散逸した技術者は集め直せない。日本はDRAMでそれを一度経験している。エルピーダメモリの破綻は2012年、負債総額4,480億円で当時の製造業最大だった。同じ帰結を今度は「買う側」の選択で招くとすれば、二度目は事故ではなく判断である。

国家情報法第7条、幻想が通用しない制度の壁

「中国企業といっても商売相手として合理的に振る舞うはずだ」という期待には、制度の側から反証がある。2017年施行の国家情報法は第7条で、いかなる組織および国民も国家の情報活動に協力する義務を負うと定める。企業が顧客データや技術情報の提供要請を受けたとき、拒否する法的な足場が中国国内には存在しない。データ安全法と改正反スパイ法(2023年施行)は「国家の安全に関わる情報」の定義を広げ、何が違法かの線引きを当局の裁量に委ねた。アステラス製薬の駐在員が2023年に拘束され、その後起訴された事案は、日本企業の現地活動そのものが持つ人質リスクを示している。

これは個々の中国企業の経営者の誠実さの問題ではない。制度がそう設計されている以上、企業の善意は防壁にならないという構造の問題である。2001年のWTO加盟時、貿易の拡大がやがて制度の透明化を促すという見立てが日米欧の主流だった。四半世紀後の決算は、軍民融合を国家戦略に掲げ、民間企業の技術と人材を国防動員の資源として明文化した体制である。1260Hリストが問うているのは企業の属性ではなく、この動員体制との距離であり、CXMTのような国策企業にその距離は原理的に存在しない。善意的な幻想の問題点は、幻想が裏切られること自体ではなく、幻想を前提に組んだ供給網が、裏切られた日に人質になることである。

新疆で測る、安さの原価

安さの原価がどこで発生しているかという問いは、人権の領域まで掘らないと答えが出ない。国連人権高等弁務官事務所は2022年8月の報告書で、新疆地区における恣意的拘束と労働問題の深刻な人権侵害を指摘した。米国はで同自治区に関連する産品の輸入を原則差し止めており、米税関・国境警備局の統計では2026年4月までに累計4万2,000件超、約40億ドル相当の貨物が差し止め等の対象になった。2026年8月にはトランプ政権として初めて、対象企業リストに中国企業43社が追加されている。

半導体との接点は具体的である。の優先執行分野には綿花、トマトと並んでポリシリコンが当初から指定されており、太陽電池と半導体の共通原料であるこの素材の世界供給は新疆に厚く依存してきた。監視カメラや画像認識の分野では、新疆族の追跡機能を実装したとされる企業群が米国の輸出規制リストに載っている。安価な素材と安価な最終製品の背後に、賃金が発生しない労働と、技術が監視に転用される調達網が確認されたからこそ、これらの法執行が動いている。日本企業にとってこれは他国の話ではなく、自社の供給網に新疆由来の工程が1段でも含まれれば米国市場で貨物が止まる、という実務のリスクである。トレーサビリティーの証明責任は輸入者側にあり、「知らなかった」は抗弁にならない。調達価格の安さは、こうした原価の外部化を含んだ値札として読む必要がある。

鏡像の教訓、レアアース精錬は既に握られている

半導体で懸念されている未来は、レアアースでは既に現在である。中国は2025年4月4日、サマリウム、ガドリニウム、ジスプロシウム、テルビウム、ルテチウム、スカンジウム、イットリウムの中・重希土類7種と関連磁石を輸出許可制に置いた。中国は世界のレアアース精錬能力の約9割、中・重希土類に限れば生産の99%を握る。採掘は他国でも代替が進むが、分離・精錬という中間工程の寡占が元栓になっており、2025年10月には規制対象と再輸出管理がさらに拡張、2026年1月には日本向けの管理強化も報じられた。永久磁石と重要鉱物が日本の特定重要物資11分野に入っているのは、この元栓を直視した結果である。

DRAMとの相似は構造まで一致する。安値供給で他国の精錬所を廃業に追い込み、寡占が完成した後に輸出管理で蛇口を絞る。1980年代に世界を握った日本の半導体が価格競争と政治合意で後退した歴史と、2010年の尖閣沖漁船衝突事件後にレアアース価格が急騰した記憶を重ねれば、「安ければどこから買っても同じ」という調達思想の耐用年数は見積もれる。日本側の対抗軸は精錬の分散で、関連する上場企業は次のとおりである。

銘柄 (証券コード)レアアース・磁石との接点
双日 (2768)豪ラインアスへJOGMECと共同出資し、重希土類ジスプロシウム・テルビウムの対日供給枠を確保。中国外精錬の中核経路
信越化学工業 (4063)レアアース磁石を自社生産する数少ない化学大手。2026年3月期有価証券報告書を6月19日提出(書類番号S100YE9I)
大同特殊鋼 (5471)ジスプロシウム使用量を抑えたネオジム磁石を量産しEV駆動用に供給。2026年3月期は売上収益5,781億円、営業利益421億円
TDK (6762)磁石・磁性材料の老舗で、省重希土類化と再生原料の技術開発を継続

いずれも「中国が蛇口を絞るほど代替供給の価値が上がる」という同じ向きの感応度を持つ。ただし精錬の新設は環境規制と採算の壁が厚く、数量が数字に表れるまでの時差が長い点は、投資の時間軸として織り込む必要がある。

装置から見た逆説、東京エレクトロンの中国売上は1年で1,825億円縮んだ

最後に、日本の投資家が最も見落としやすい逆説を有価証券報告書の実数で示す。CXMTの巨大な設備投資は、日本の装置メーカーの売上でもある。

東京エレクトロン(8035)が6月22日に提出した2026年3月期の有価証券報告書(書類番号S100YEOO)によると、売上高2兆4,435億円のうち中国向けは8,326億円で構成比34.1%。依然として最大の仕向け地だが、前期の1兆150億円(41.7%)からは1,825億円縮小した。中国の成熟プロセス投資の一巡と輸出管理の強化が数字に出た形で、代わりに韓国向けが4,090億円から5,439億円へ、台湾向けが4,106億円から4,999億円へ伸び、先端投資が穴を埋めた。研究開発費は2,779億円と前期から278億円積み増しており、サムスンが10ナノ台DRAMに投じた総額(約1,700億円)を、装置1社が毎年上回って研究している計算になる。技術は完成品メーカーだけでなく装置と材料に宿り、そして装置の売上の3分の1は、規制と両立する範囲で中国の増産を支えている。この二面性を単純な「脱中国」の物語に丸めると、銘柄の実像を見誤る。

東京エレクトロンの地域別売上、中国比率は41.7%から34.1%へ
東京エレクトロンの地域別売上、中国比率は41.7%から34.1%へ

メモリー高騰の受益側も同じ開示期に並んだ。キオクシアホールディングス(285A)の2026年3月期は売上収益2兆3,376億円(前期比37%増)、営業利益8,704億円(93%増)。テスターのアドバンテスト(6857)は売上高1兆1,286億円(45%増)、営業利益4,991億円(119%増)で、HBMの検査需要が利益率を押し上げた。CXMTがDDR5とHBMへ登ってくるほど、短期的には市況の締まりでこれらの数字は膨らみ、長期的にはシェアの侵食が始まるという時間差が、この銘柄群の値付けの難所である。

観察点を3つに絞る。第1に、CXMTのDDR4打ち切りが下半期の汎用DRAM価格をどう動かすか。第2に、AppleのCXMT調達申請を米政権が認めるか、それとも1260Hリストの綱引きが調達側の敗北で終わるか。第3に、キオクシアと東京エレクトロンの次回四半期開示で、中国比率と受注の地域構成がどこまで動くか。懲役7年の判決文が教えるのは、技術の値段は盗まれた瞬間ではなく、依存が完成した日に請求されるということである。請求書の宛先に日本を載せないための材料は、すでに開示の中に揃っている。