量子計算機を作らない会社が、量子計算機の稼働に欠かせない部分を押さえている。押さえた場所は誤り訂正の復号にかかる数マイクロ秒で、そこに置かれたモデルはわずか91万2,000パラメータの小ささだった。
NVIDIAが公開した2枚の資料が量子業界で回っている。1枚は量子ビットからスーパーコンピューターに至る5工程をAIが埋めるという道筋図、もう1枚はIsing・CUDA-Q・NVQLinkなど6つの構成要素を並べた基盤図である。同社の量子製品責任者Sam Stanwyck氏はEE Timesの取材に「我々は量子計算機を作らない。だが作っているすべての会社と組む」と述べた。本稿はこの2枚を1項目ずつ書き出したうえで、開発元の技術資料と査読論文と証券取引委員会への提出書類で数値を検算し、報じられていない2つの食い違いと、この事業がどこで金に変わるのかを組み立てる。使ったのは米国立医学図書館の書誌、NVIDIA開発者向け技術資料、SEC EDGAR、金融庁EDINET、総務省の科学技術研究調査である。
5工程の道筋図が語っているのは、量子ではなく古典のAIである
1枚目の資料は左端に「今日の計算機」、右端に「量子とGPUのスーパーコンピューター」を置き、その間を5つの工程が結ぶ構図を採る。順に、アルゴリズムと応用の開発、量子ビット設計の自動化、量子データの生成、リアルタイムの誤り訂正、量子計算機の実運用。上部に掲げられた見出しは「AI to the Rescue」である。
道筋の設計思想は、5工程のどこにも量子ならではの解法が置かれていない点にある。量子ビットの配置を決めるのも、学習データを合成するのも、誤りを訂正するのも、すべて古典のGPUで走るAIが担う。量子計算機を実用にするために必要な作業の大半が、実は古典計算の仕事だという主張になっている。
同社が根拠として図の下部に示す論文を開くと、その主張の出どころがはっきりする。Nature Communications誌に2025年に載った総説で、書誌情報はAlexeev Y, Farag MH, Patti TL ほか「Artificial intelligence for quantum computing」、巻16、論文番号10829である。米国立医学図書館の書誌で著者28人の所属を1人ずつ当てると、20人がNVIDIA Corporation, Santa Claraだった。取材で語るStanwyck氏自身も著者に名を連ねる。社外はオックスフォード大3人、ウォータールー大、NASAエイムズ研究センター、カリフォルニア大ロサンゼルス校、Quantum Motion、Qubit Pharmaceuticalsの計8人にとどまる。
査読を通った総説であることは事実で、内容の質を疑う話ではない。ただし独立した第三者による分野の評価ではなく、基盤を売る側が自ら描いた見取り図として読む必要がある。「AIが量子を救う」という命題を提示したのも、その救済に使うAIを売るのも同じ主体である。
較正に350億、復号に91万2,000。5桁の差が設計を決めている
2枚目の資料は6つの構成要素を並べる。量子計算向けの公開モデル群Ising、ソフト基盤CUDA-Q、低遅延の接続規格NVQLink、量子シミュレーションの加速cuQuantum、誤り耐性計算の部品を集めたCUDA-Q Libraries、教育向けのCUDA-Q Academicである。
このうち技術的に最も踏み込む価値があるのがIsingで、開発元の技術資料を開くと2種類のモデルが全く違う設計になっている。
較正を担うIsing Calibrationは350億パラメータの視覚言語モデルである。量子ビットを立ち上げる作業は、従来は熟練の物理学者が診断用の図を目で見て周波数や振幅を詰めるもので、数日を要した。視覚言語モデルはその図を画像として読み、次に何を調整すべきかを言葉で返す。人間が図を見る作業をそのまま機械に置き換える設計で、大きなモデルが要る理由もそこにある。技術資料によると、この用途でGemini 3.1 Proを3.27%、Claude Opus 4.6を9.68%上回ったとされる。
復号を担うIsing Decodingは、対照的に極端に小さい。速度優先の型が約91万2,000パラメータ、精度優先の型が約179万パラメータで、いずれも3次元の畳み込みニューラルネットワークである。較正モデルとの規模差はおよそ5桁になる。
この5桁の差は性能の手抜きではなく、物理的な制約から来る。量子ビットが重ね合わせを保っていられる時間は極めて短く、誤りの訂正はその時間内に終わらなければ意味がない。技術資料が示す遅延は精度優先の型で1周期あたり2.33マイクロ秒、速度優先の型で0.11マイクロ秒の見込みである。350億パラメータのモデルをマイクロ秒で走らせることはできないから、復号器は小さくするしかない。誤り訂正という工程は、モデルの賢さではなく応答時間で設計が決まる領域になっている。
入力の形も理にかなっている。3次元の畳み込みが受け取るのは9×9×9または13×13×13の立体で、縦横2軸が量子ビットの配置、残る1軸が時間にあたる。誤りは空間的にも時間的にも連鎖するため、平面ではなく立体で見る必要がある。受容野9と13という数字は、どこまで離れた誤りの連鎖を1つの塊として捉えるかの設定にあたる。
出回る紹介文の2箇所が、開発元の資料と合わない
ここで対象となった紹介文を技術資料と突き合わせると、2つの食い違いが出てくる。
第1に「Ising Calibrationは310億パラメータの視覚言語モデル」という記述である。開発元の技術資料は350億パラメータと明記する。31という数字は資料の別の場所に現れており、それは符号距離d=31、つまり誤り訂正符号の大きさを示す指標である。パラメータ数と符号距離という全く別の量が入れ替わって流通している。
第2に「論理誤り率を300倍超下げる」という記述である。技術資料がIsing Decodingについて示す数値は、既存の標準的な復号手法に対して速度優先の型が2.5倍速く1.11倍正確、精度優先の型が2.25倍速く1.53倍正確、というものである。347倍という数字は同じ紹介文の後段に別途出てくるとおり、色符号の前置復号器という別の仕組みが特定の評価で示した値で、Isingの一般的な性能ではない。冒頭の要約で両者が混ざっている。
こうした取り違えは細かく見えるが、投資判断では意味を持つ。1.5倍の改善と300倍の改善では、誤り耐性量子計算に到達する時期の見積もりが桁で変わる。技術の善し悪しではなく、どの数字がどの条件で測られたかを分けて読む必要がある。
なお「5個の物理量子ビットで1個の論理量子ビットを符号化する」という部分にも補足が要る。5量子ビットで1論理量子ビットを守る符号は[[5,1,3]]完全符号と呼ばれ、任意の1量子ビット誤りを訂正できる最小の符号として1996年から知られている。同社が新しく作ったのは符号そのものではなく、その符号をGPUでリアルタイムに復号する仕組みのほうである。物理量子ビットの必要数が突然5個に減ったという話ではない。
年次報告書に「量子」の語は1度も出てこない
事業としての姿を見るには、証券取引委員会への提出書類が最も正直な資料になる。2026年1月期の年次報告書で全文検索をかけた結果は明快だった。
quantumという語は0回である。唯一のQuantumは取締役の略歴に出てくるQuantum Corp.という無関係の企業名で、量子計算とは何の関係もない。CUDA-Q、NVQLink、cuQuantum、Ising、qubitはいずれも0回。報告区分は「計算・ネットワーク」1,934億7,900万ドルと「グラフィックス」224億5,900万ドルの2つだけで、売上高の総額は2,159億3,800万ドル、営業利益は1,392億9,700万ドルになる。量子という区分は存在せず、リスク要因の項にも記載がない。
これは同社の医療基盤Claraが同じ書類で1回だけ言及される状況よりさらに徹底している。9年にわたる医療の協業でも1回、量子では0回。量子事業から同社に直接結びつく売上は、現時点で1ドルも計上されていない。
では何のために投じているのか。資料に併記された4つの数字が答えを示している。提携先500社超、主要な新興企業の9割超が協業、量子処理装置の8割超が同社ソフトを組み込み、主要な量子開発基盤の100%が対応。いずれもいずれも同社の公表値で第三者の検証は付かないが、狙いは明確である。量子が実用になる日が来たとき、その周りの古典計算をすべて自社の記法で書かせておくという投資になっている。CUDA-Q Academicが大学の講義向け教材として並んでいるのも同じ設計で、次の世代の技術者を自社の記法で育てる投資にあたる。
実際に収益が生まれているのはシミュレーションのほうである
現時点で売上として立っているのは、量子計算機そのものではなく量子の動きを再現する計算である。実機の量子ビット数がまだ小さく誤りも多いため、アルゴリズムの検証は古典のGPUで量子回路を計算する形で行われる。cuQuantumが担うのがこの部分で、GPUの販売に直接つながる。
バルセロナ・スーパーコンピューティング・センターの構成が、この関係を物理的に表している。同センターではスーパーコンピューターMareNostrum 5が稼働し、隣接する旧礼拝堂Torre Gironaに3台の量子計算機が置かれ、両者が接続された。量子側の区画はMareNostrum Onaと呼ばれ、3台のうち2台がデジタル方式、中央の1台がアナログ方式にあたる。数千基のGPUを積んだ古典側が、量子側の制御と測定データの処理と誤り訂正を引き受ける構造で、量子計算機は単独では動かないという主張が施設の配置として現れている。
金融分野の話も、この文脈で読む必要がある。JPMorgan ChaseやHSBCが同社と組んで資産配分の最適化や不正検知に取り組んでいるとされ、Stanwyck氏は「金融で1%の優位が見つかれば、それは非常に価値がある」と述べている。1%という水準設定は控えめに見えて示唆に富む。運用資産が1兆円規模なら1%は100億円になるから投資は正当化されるが、裏を返せば量子が圧倒的に勝つ場面をまだ誰も示せていないという意味でもある。現状の取り組みの多くは、GPUで量子向けのアルゴリズムを再現し、古典の手法と比べる段階にとどまる。
日本勢はどこにいるのか: 研究費の桁と、向き合い方の違い
日本の投資家にとっての位置づけを、有価証券報告書の実額で確かめる。2026年3月期で、富士通は売上収益3兆5,030億円・営業利益3,483億円・研究開発費1,373億円、日本電気は売上収益3兆5,827億円・営業利益3,599億円・研究開発費1,052億円、日立製作所は売上収益10兆5,868億円、三菱電機は売上収益5兆8,947億円・営業利益4,331億円・研究開発費2,359億円である。
これらの研究開発費は全社の合計で、量子に充てられる額はその一部にすぎない。総務省の科学技術研究調査によれば、2025年の日本の全産業の内部使用研究費は17兆4,303億円、情報通信業に限ると6,203億円で売上高比1.40%になる。日本の情報通信業全体が1年に投じる研究費が、NVIDIAの四半期の営業利益に届かない規模にある。
向き合い方も異なる。日本勢は超伝導方式の実機開発そのものに資源を投じ、理化学研究所との共同開発などを通じて量子ビットの数を積む方向を採ってきた。NVIDIAが選んだのは、その周りの古典計算だけを押さえる位置である。どちらが正しいかは実機が実用に届くかで決まるが、収益構造の違いははっきりしている。実機を作る側は誤り率という物理の壁を越えないと売上が立たない。周りを押さえる側は、誰かが壁を越えようとする限り、越える前から売上が立つ。
半導体の販売価格の環境も追い風ではない。米国の半導体製造の生産者物価指数は2026年5月の30.187から7月の28.987へ3か月連続で下がっている。GPUの数量が伸びても単価が下がる局面で、量子という新しい用途を作れるかは、同社にとって数量を守る戦いでもある。
次に確かめる数字
追える指標を整理しておく。年次報告書に量子の売上区分が現れるかどうかが最初の分岐で、2026年1月期時点で存在しない以上、同社にとって量子は依然として需要を作る場である。区分が設けられる日が来れば、それは市場が実在に変わった証しになる。
技術側では符号距離が指標になる。Ising Decodingが検証されているのはd=13とd=31で、これは論理量子ビット1個を守るのに使う物理量子ビットの数に効く。距離が上がるほど必要な物理量子ビットは増え、復号にかかる時間も延びる。マイクロ秒の制約を保ったまま距離を伸ばせるかが、誤り耐性量子計算に届くかを分ける。
日本側では、富士通と日本電気の有価証券報告書で量子関連の記述が研究開発活動の欄からセグメント情報の欄へ移るかどうかが節目になる。研究の段階では研究開発費に埋もれ、事業になれば売上として区分される。その移動が起きるまで、量子は損益計算書の上では費用のままである。
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