インフレ抑制を前面に置いた講演として受け取られたが、原稿を開くと最も字数を割いているのはAIだった。中央銀行の議長が公式の場でトークンの使用量を経済変数として挙げたのは、記者の知る限り初めてになる。

2026年8月28日、ウォーシュ議長がジャクソンホールで初めての基調講演を行った。市場は物価重視の姿勢を読み取り、9月の利上げ確率は講演前の3割強から5割台へ切り上がった。日本の報道もこの一点に集まっている。だが米連邦準備制度理事会が公開した原稿には、報じられていない層がある。AIを「新しい生産要素になり得る」と位置づけ、その扱い方次第で金融政策の向かう先が変わると述べた部分である。本稿は講演で挙がった7つの数字を公的統計で1つずつ検算したうえで、AIを成長会計のどこに置くかで政策が反転する仕組みを解き、9月16日と18日に連続する二つの決定が日本の投資家に何を強いるのかまでを組み立てる。

7つの数字を当てる: 6つは合い、1つは定義で動く

講演は具体的な統計を並べる形式を採っている。米連邦準備制度の時系列データベースで1つずつ当てた。

講演で挙げられた数字を、公的統計に当てて1つずつ確かめる
講演で挙げられた数字を、公的統計に当てて1つずつ確かめる

個人消費支出物価の前年比3.7%は、2026年7月の実測3.70%と一致する。6か月変化率4.1%も、1月から7月への変化を年率に直すと4.13%で合う。失業率4.1%は7月の実測どおりで、前月の4.2%から下がっている。企業利益が過去1年で20%超という部分は、税引後の企業利益が前年同期比20.31%増と符合する。

ここで見落とされているのが、前年比3.70%と6か月年率4.13%の並び順である。直近半年の物価の勢いが、過去12か月の平均を上回っている。物価の減速が止まり、むしろ加速へ転じたことを示す配置で、「夏の良好な物価指標でも基調的インフレが意味のある改善を示したとは言えない」という発言はここに根拠がある。さらに食品とエネルギーを除いたコアの物価を当てると、前年比3.34%、6か月年率3.46%となる。総合の4.13%より低いため、直近の加速には食品とエネルギーの寄与が含まれる。それでも6か月年率が前年比を上回る形は、コアでも変わらない。基調が下を向いていないという判断は、この2つの並びから出ている。

合わなかったのは「2021年以来の高い伸び」という一点だけである。名目の民間非住宅固定投資で見ると、直近の前年同期比9.88%を上回る四半期は2023年4-6月期の12.08%まで遡る。実質ベースや別の集計単位を採れば「2021年以来」となる余地は残るが、名目の系列では成り立たない。

設備投資の伸びの62.3%がAIだった: 主張は控えめだった

検算のなかで最も投資判断に効くのが、設備投資に占めるAIの比率である。「今年の設備投資の伸びの半分超がAI関連の建設に帰せられる」という発言は、実測すると主張を上回っていた。

民間非住宅固定投資は2025年4-6月期の4兆2,075億ドルから2026年4-6月期の4兆6,234億ドルへ増え、増加額は4,158億ドル。このうち情報処理機器・ソフトウェアの増加は2,591億ドルで、増加額全体の62.3%を占める。より狭く「コンピュータ・周辺機器とソフトウェア」の2項目に絞り、分母を設備と知的財産生産物の増加額4,214億ドルに置き換えても51.6%になる。どちらの取り方でも「半分超」は成立する。

内訳を1段掘ると、コンピュータ・周辺機器そのものが2,538億ドルから4,006億ドルへ57.86%増えている。同じ期間の設備全体が14.76%増、知的財産生産物が10.74%増だから、伸びが1つの項目に集中している。米国の設備投資の統計は、事実上この項目の動きを追う統計になりつつある。

この集中は投資判断に2つの意味を持つ。1つは、米国の成長率がこの項目の増減に強く依存するようになったこと。もう1つは、この項目が止まったときに何が起きるかを、まだ誰も観測していないことである。

AIをどこに置くかで、同じ数字から正反対の政策が出る

講演の核は「AIは新しい変数であり、生産要素になり得る」という一文にある。抽象的な表現に見えるが、経済学の枠組みに落とすと極めて具体的な分岐になる。

AIを生産要素として置くと、同じ数字から正反対の政策が出てくる
AIを生産要素として置くと、同じ数字から正反対の政策が出てくる

成長会計は産出を、全要素生産性・資本・労働の3つに分解する。産出をY、全要素生産性をA、資本をK、労働をL、資本分配率をαと置けば、Y=A×K^α×L^(1−α)という形になる。AIをこの式のどこに入れるかで、同じ経済指標から3つの異なる政策が導かれる。

第1の読み方は、AIが全要素生産性Aを押し上げるというものである。同じ資本と労働からより多くの産出が出るなら、潜在成長率が上がり、それに伴って自然利子率も上がる。自然利子率とは、経済を過熱も冷却もさせない実質金利の水準を指す。これが上がると、政策金利を動かさなくても、相対的には緩和方向へ滑る。「信用・融資市場には政策抑制の兆候がほとんどない」「金融環境全体を引き締め的と呼ぶのは難しい」という観察は、この読み方に立つと利上げの論拠になる。現在の実効フェデラルファンド金利は3.63%で、物価が6か月年率4.13%なら実質金利はすでにマイナス圏にある。

第2の読み方は、AIが単にKを増やしているだけだというものである。資本の限界生産力は逓減するから、設備を積むほど1単位あたりの効き目は落ちる。これは設備投資の循環であって、潜在成長率は動かない。投資が一巡すれば需要は落ち、物価も自然に下がる。この立場からは利上げは過剰反応になる。

第3の読み方は、AIがLを置き換えるというものである。産出は増えるのに雇用は減り、労働分配率が下がって所得が資本へ移る。この場合、物価安定と最大雇用という二つの責務は同じ方向を向かなくなる。議長は「二重責務は互いに矛盾しない」と述べたが、それが成り立つのは第3の読み方が外れている場合に限られる。

議長が「AIが労働を補完するのか競合するのかはまだ分からない」と述べたのは、この3つのどれであるかを判定していないという宣言に等しい。そして判定しない以上、政策は単一のデータではなく傾向で決める、という運びになる。

「トークンの使用量」という言葉が原稿に入った意味

原文で最も注目すべき一文は、Will token usage be complementary or competitive to labor? である。日本語に直せば「トークンの使用量は労働を補完するのか、それとも競合するのか」となる。

トークンは大規模言語モデルが文章を刻む最小単位で、単語よりやや細かい。英語なら1語がおおむね1.3トークン、日本語なら1文字あたり1トークン前後になる。モデルの利用料はこの単位で課金され、推論の使用量を測る尺度としても機能する。つまり議長は、雇用統計や物価指標と並べて、計算機が消費するトークンの量を経済変数として見ると述べたことになる。

この言葉選びは技術的に正確である。AIの経済効果を測るとき、投入されたGPUの台数や学習に使った演算量は、能力の上限を示すだけで実際の使用量を示さない。据え置かれたまま使われない設備は産出を生まない。これに対しトークンの消費量は、実際に推論が走った回数に比例する。設備の量ではなく稼働の量を見る指標で、経済統計でいえば設備投資額ではなく設備稼働率に近い。

同じ講演で「次の世代のモデルはさらに大きな資本集約度を求めるのか、それともモデル自身が資本を節約する解を編み出すのか」とも問うている。これは推論の効率化、すなわち同じ出力を得るのに必要なトークンあたりの演算量が下がるかどうかを指す。下がれば、同じ設備でより多くの産出が出る。設備投資が減っても産出は増える経路があり得ることになり、第2の読み方の前提が崩れる。技術の細部が、そのまま金融政策の分岐に接続している。

統計に「知能」という科目はない

もう1つ、報じられていない構造がある。米商務省経済分析局は、AIへの支出を設備、知的財産生産物、構築物の3つに割り振る。GPUとサーバーは設備、ソフトウェアは知的財産生産物、データセンターの建物は構築物に入る。どれも物と権利の勘定であり、そこから生まれる知能そのものを計上する科目は存在しない。

この構造上、AIによる生産性の押し上げは、統計に直接は現れない。全要素生産性は産出から資本と労働の寄与を差し引いた残差として計算されるため、AIの効果は「説明できない部分」として事後的に姿を現す。議長が「AIが労働を補完するのか競合するのかはまだ分からない」と述べたのは、判断材料を欠いているという意味以上に、判断に必要な区分が統計の側に用意されていないという意味に近い。

日本の投資家にとって、この点は実務に直結する。米国の設備投資統計でコンピュータ・周辺機器が57.86%増えたという数字は観測できるが、それが生産性を何%押し上げたかは当分観測できない。前者は投資判断の材料になり、後者はならない。分かる数字と分からない数字の線引きを間違えると、まだ確認されていない生産性の向上を前提にした値付けを、確認済みの事実として扱うことになる。

「より静かなFRB」が意味するもの: 鏡の間からの離脱

講演のもう1つの柱がフォワードガイダンスの縮小である。「政策の議論を過剰に共有し、将来の決定に過剰に約束することは、市場や企業や家計を誤った方向へ導き得る」と述べ、さらに踏み込んで「市場がFRBの指針に大きく依存し、FRBが市場価格に依存するなら、我々は皆、新しい動きに対して盲目になりやすく、政策の誤りを犯しやすくなる」と説明した。

これは情報理論の言葉で言えば、信号と雑音の循環を断つという主張になる。中央銀行が市場価格から情報を読み取り、市場が中央銀行の発言から価格を作るなら、両者の間を巡回するのは自分自身の反響であって、新しい情報ではない。原文が warned against a regime という表現を採るとおり、指針を減らすことは情報を減らす行為ではなく、外部からの情報の取り分を増やす行為として設計されている。この情報公開縮小の経緯と、それが日本の金利に与える影響については本紙の別稿で年表と実額を追った。

実務への含みは明快で、9月の決定を事前に読む手がかりが減る。市場が織り込む利上げ確率が講演後に3割強から5割台へ動いたのは、方向が示されたからではなく、示されないことが確認されたためである。「私は特定の政策決定ではなく、規律にコミットしている」という締めの一文が、それを言い切っている。

9月16日と18日: 二つの中央銀行が30時間の間に決める

日本の投資家にとって最も具体的なのが、日程である。米連邦公開市場委員会は9月15日から16日に開かれ、決定は16日午後2時、東部時間に公表される。経済見通しと政策金利の予測も同時に出る。日本銀行の金融政策決定会合は9月17日から18日で、結果は18日の昼前後に出る。両者の間はおよそ30時間しかない。

この並びが持つ意味は、日米の金利差の行方に直結する。米国が9月に利上げする確率は講演後に5割台へ上がった。日本銀行については、政策金利1.00%から1.25%への引き上げを市場が8割台で織り込んでいる。もし両方が上げれば、日米の短期金利差は縮まない。

この点は、8月に大量の外債売却が起きたときの前提を揺らす。日本の投資家が8月16日からの週に対外中長期債を1兆9,784億円売り越し、株式と短期債を含めた引き揚げが3兆578億円に達した背景には、日本銀行の利上げで為替ヘッジの費用が下がるという計算があった。その週の実態は本紙で649週分の時系列に当てて検証したが、そこで置いた前提は「日本が上げ、米国は動かない」というものだった。米国も上げるなら、ヘッジ費用を決める日米の短期金利差は縮まず、外債から国内債への移動を正当化する算術は成立しない。

金利の水準はすでに動いている。米10年債利回りは8月26日に4.66%、2年債は4.19%で、いずれも前日から上昇した。講演直後にドル円は159円台後半へ振れ、8月18日の159.58円を上回る水準に接近した。ただし為替の日次系列は8月21日の158.91円までしか公表されておらず、講演当日の日中値は確定値として引けない。7月29日に付けた163.86円が直近1年の高値である事実と合わせると、円は7月末から3%上昇した後、講演を受けて戻す局面にある。

次に確かめる数字と、その順序

追う順序を整理しておく。最初に来るのが物価の6か月変化率で、前年比を上回る形が続くかどうかが基調の判定を分ける。8月分の個人消費支出物価が9月下旬に出れば、1月から8月への年率が計算できる。次が設備投資の内訳で、7-9月期の統計が10月末に出た時点で、コンピュータ・周辺機器の57.86%増が続いているかが見える。この項目が減速すれば、第2の読み方が正しかったことになる。

9月16日の連邦公開市場委員会では、政策金利そのものより経済見通しの資料に注目が集まる。潜在成長率と長期の政策金利の中央値が引き上げられれば、第1の読み方を当局が採ったという意味になる。その30時間後に日本銀行が決める。両方が上げるのか、片方だけか、どちらも動かないかで、外債と国内債の損得は入れ替わる。

そして議長が原稿に書き込んだトークンの使用量には、まだ公式の統計がない。生産要素として扱うと宣言された変数が、誰にも測られていない状態にある。次の一手を読むより先に、測られていないものが何かを把握しておくことが、この局面では効く。