中国人民銀行が保有する金は2,331.5トン、外貨準備の8.8%にあたる。同じ時点のM2は353兆6,700億元。金の時価はその0.70%にしか届かず、兌換を約束するには143倍の金が要る。

人民元が金の裏づけを持つ通貨へ移行するという主張が、交流サイトを通じて広く出回っている。根拠として挙げられるのは、香港の金決済システムの稼働、中国人民銀行による連続した金の買い増し、各国の米国債売却といった個別の出来事である。これらのうち事実に基づくものは確かにあり、金という資産の位置づけが変わりつつあることも数字が示す。ところが「金本位制」という言葉が指す制度と、観測されている事実の間には大きな距離がある。本稿は米国財務省のTIC統計、中国人民銀行の公表値、欧州中央銀行の報告を用いて、この主張を1つずつ検算する。

兌換を約束するには143倍が要る、という単純な割り算

金本位制とは、通貨と金を定められた比率で交換すると法が約束する制度である。約束が信用されるには、流通する通貨に見合う金が裏づけとして存在する必要がある。この条件を中国の数字に当てはめる。

中国人民銀行の金保有量は2026年5月末で2,331.5トン。1トンは32,150.7トロイオンスなので、およそ7,495万トロイオンスになる。1トロイオンス4,650ドルで評価すると3,486億ドル、1ドル7.1元で換算して約2.47兆元である。同じ2026年5月末のM2は353兆6,700億元。金の時価がM2に占める割合は0.70%にとどまる。M2の全額に兌換を約束するなら、現在の143倍の金を積む必要がある。世界の金の年間産出量が約3,600トンであることを踏まえれば、この差は年数で埋まる性質のものではない。

比率を下げても事情は変わらない。歴史上の金本位制でも100%の裏づけが置かれた例は少なく、部分準備で運用された。ただし部分準備であっても、通貨当局は兌換の請求に応じて金を渡す義務を負う。0.70%という水準は、請求が来た時点で約束を果たせなくなることを意味する。中国が金を買い続けている事実と、金本位制へ移行できる状態にあることは、別の問題である。

人民元と金の裏づけ、割り算で確かめる
人民元と金の裏づけ、割り算で確かめる

外貨準備に占める金の比率8.8%という数字も、同じ方向を示す。この比率は米国の約70%、ドイツの約70%と比べて低い。金を積み増している国は、金の比率が高いから積み増しているのではなく、低いから積み増している。19カ月から20カ月に及ぶ連続購入は、2015年に定期的な公表を始めて以降で最長だが、出発点が低いことも同時に示す数字である。

事実であるもの、香港の決済システムと連続購入

主張のうち、公表資料で裏づけられるものを分けておく。

香港の金の中央清算・決済システムは2026年7月7日に試験運用を開始した。上海金取引所と香港政府の財務当局が2026年1月に署名した業務提携の覚書に基づき、香港貴金属中央清算会社が上海金取引所の国際会員となって現物口座を開設し、最初の金の搬入と最初の売買・決済が完了している。試験運用には41の機関が参加し、銀行のほか山東黄金、紫金鉱業、招金鉱業といった金鉱会社、周大福 (チョウタイフク) をはじめとする宝飾会社、精錬業者が名を連ねる。上海と香港の間で金を現物で行き来させる仕組みが動き出したことは事実である。

中国人民銀行の連続購入も事実である。2026年4月末に約2,321トンで18カ月連続、5月末に2,331.5トンで19カ月連続、その後20カ月連続へ更新されている。金価格が高値圏にあるなかでの継続的な購入であり、価格が下がった局面でも買いを止めていない。

金の位置づけが上がっていることも数字が示す。欧州中央銀行の報告によれば、時価ベースで金はユーロを抜き、世界の公的準備資産で2番目の規模になった。1位は引き続き米ドルである。ここが分かれ目で、「金が米国債を上回る準備資産になった」という言い方は、ユーロを抜いたという事実を1段強く言い換えたものにあたる。金は準備資産の2位であって、1位のドル建て資産を超えてはいない。

5カ国が売ったという主張、米財務省の統計で確かめる

「英国、中国、日本、韓国、インドがそろって米国債を売った」という主張は、一次統計で検算できる。米国財務省が公表する主要な外国保有者の表から、直近1年分の実額を取る。

2025年12月末2025年1月末増減
日本1兆1,855億ドル1兆793億ドル+1,062億ドル
英国8,631億ドル7,402億ドル+1,229億ドル
中国6,844億ドル7,608億ドル△764億ドル
インド1,829億ドル2,257億ドル△428億ドル
韓国1,406億ドル1,222億ドル+184億ドル

売り越したのは中国とインドの2カ国で、日本、英国、韓国の3カ国は保有を増やしている。日本の増加額1,062億ドルと英国の1,229億ドルは、中国の減少額764億ドルを個別に上回る。特定の月だけを切り取れば5カ国が同時に減らす月は存在しうるが、月次の増減には為替評価や償還の期ずれが混じるため、方向を判断するには年単位で見る必要がある。年で見た限り、5カ国がそろって米国債から離れているという事実は統計に現れない。

中国が減らしているのは事実であり、その傾向は継続している。ただし6,844億ドルという残高は、同じ時点の金保有の時価3,486億ドルの約2倍にあたる。金を買い米国債を減らしていても、資産の構成としては依然として米国債の方が大きい。

米国債保有の1年の増減と、金の時価との比較
米国債保有の1年の増減と、金の時価との比較

主張の背後にある販売、切り分けて読む

今回の主張には、検証可能な事実の層と、そうでない層が重なっている。「中国が世界各地に金の保管拠点を設けて人民元を金に固定する」「新興国の枠組みで金に裏づけられたブロックチェーン決済を始める」といった記述は、いずれも当局の公表資料で確認できない。加えて、この種の投稿の末尾には、金を裏づけとするという触れ込みの代替資産や、それを扱う取引の場が並ぶことが多い。制度の話として示された結論が、特定の商品の販売へつながっている。読む側が最初に確かめるべきはこの点である。

見分け方は難しくない。第1に、通貨制度の変更は法令と当局の公表を伴う。人民元と金の交換比率を定めた規定は存在しない。第2に、裏づけを主張する数字は、必ず分母と突き合わせる。金の保有量だけを見れば大きく見え、M2と比べれば0.70%になる。第3に、統計は年単位で方向を見る。単月の増減は評価差と期ずれを含む。

金そのものへの需要が強いことは、価格が示している。1トロイオンス4,650ドルという水準は高値圏にあり、上海先物取引所の金の建玉が1年ぶりの高水準に膨らんだという観測もある。中央銀行が買い、投資家が買い、価格が上がるという循環は現に起きている。その事実と、通貨制度が金本位制へ戻るという主張は、同じ出来事を指しているように見えて、別の話である。

日本の投資家に届く経路は、通貨制度ではなく金利にある

日本の投資家にとって、この話が実際に届く経路は通貨制度ではなく金利である。中国が米国債を減らし、金を買う動きが続けば、超長期の米国債の買い手構成が変わる。買い手が細れば米国の長期金利は上がりやすくなり、日本の超長期金利にも波及する。円の40年債利回りが4%台に乗るという見通しと、その金利が電力や原子力の設備投資の採算をどう動かすかは別稿で検証した。米財務省が超長期国債の買い戻しを倍増させた措置も、この買い手構成の変化と同じ文脈にある(検証記事)。

金に連動する資産を扱う日本の上場企業を整理すると、性格は3つに分かれる。商社では三井物産双日が資源の権益と地金の取引を持ち、精錬では住友金属鉱山DOWAホールディングスが金を含む非鉄の製錬を担う。金融ではSBIホールディングスなどが地金や関連商品の取り扱いを持つ。いずれも金価格の上昇が収益へ及ぶ度合いは事業構成によって大きく違い、価格への連動の度合いは精錬と権益の側が高い。テーマの見出しと事業の実態の距離を測ってから乗るという原則は、暗号資産関連株の仕分けで確かめたとおりである。

観察点を3つに絞る。第1に、中国人民銀行の連続購入が何カ月まで伸び、外貨準備に占める金の比率が8.8%からどこまで上がるか。第2に、香港の決済システムが試験運用から本稼働へ移り、現物の受け渡し量が公表されるか。第3に、米財務省のTIC統計で中国の減少が続くか、そして日本と英国の増加が反転するかである。金本位制という言葉が現実になるかどうかより、143倍という距離がどれだけ縮んだかを毎月の公表値で追う方が、投資の判断には近い。