国税庁が、非上場株式の相続税評価を残余利益方式へ一本化する検討に入った。現行ルールの制定は1964年で、62年ぶりの抜本見直しにあたる。2027年度税制改正大綱への反映と、2028年1月以降の相続からの適用を目指す日程が伝えられている。
検討の場は2026年4月20日に初会合を開いた国税庁の有識者会議で、第2回が5月11日、第3回が6月4日に開かれた。伝えられている新ルール案の計算式は「(簿価純資産+残余利益×5年分)×一定の係数」。残余利益とは、利益から資本コストを差し引いた超過収益力を指す。本稿は有識者会議に提出された資料(委員である桜井久勝氏の作成)を仮設例まで検算し、現行制度の何が問題で、誰の税負担が増えて誰が減るのか、そして事業承継の市場に何が起きるのかを、国税庁の統計と有価証券報告書の実数で確かめる。売買の推奨や評価は示さない。
現行ルールは3つの方式の混合で、恣意性の余地が大きい
まず現行制度を整理する。取引相場のない株式の相続税評価は、第三者間の取引価格がない場合、会社の規模に応じて3つの方式を使い分ける。大会社は上場している類似業種の株価に自社の配当・利益・純資産を比準させる方式、小会社は純資産価額方式が軸で、中会社はその混合。さらに経営に関与しない少数株主には、配当だけから逆算する配当還元方式が認められる。時価純資産が事実上の上限として機能し、規模の区分と方式の選択で評価額が大きく変わる。
この構造が、恣意性の温床と指摘されてきた。会社規模の区分を操作する、借入で不動産を買って純資産を圧縮する、持株会社を挟むといった節税手法は、いずれも「方式の使い分け」という制度の形そのものから生まれている。有識者会議の資料でも、評価方法の抜本見直しの動機として恣意性の問題が明示されている。1964年の制定から62年、上場企業の会計基準が国際化し、企業価値評価の理論が整備される間、相続税の世界だけが独自の計算を続けてきた。
有識者会議の仮設例を検算する、3つのモデルは同じ2,040に着く
資料の中核は、企業価値評価の3つの標準モデルが理論上同じ答えに着くことを示す仮設例である。数字を追う。毎期同じ状態が永久に続く会社を仮定し、期首の貸借対照表は設備2,000(20年で毎期100ずつ減価償却し同額を補充)、有利子負債1,200(利子率5%)、自己資本簿価800(資本コスト10%)。損益計算書は売上高1,000、売上原価500、減価償却費100で営業利益400。支払利息60を引いた税引前利益340に税率40%の税金136がかかり、当期純利益は204。これを全額配当する。
この会社を3つのモデルで評価する。第1に配当割引モデル。配当204を資本コスト0.1で割ると2,040。第2に割引キャッシュフローモデル。フリーキャッシュフローは営業利益400×(1−税率0.4)+減価償却費100−設備投資100−運転資本増加0で240。加重平均資本コストは、負債1,200(37.04%)と自己資本価値2,040(62.96%)の加重で、0.05×0.6×0.3704+0.1×0.6296=0.07407。240÷0.07407で企業全体の価値3,240となり、負債1,200を引くと2,040。第3に残余利益モデル。自己資本簿価800に、残余利益(純利益204−資本コスト0.1×簿価800=124)を資本コスト0.1で割った1,240を足すと2,040。
3つの答えが一致するのは偶然ではない。将来の配当・キャッシュフロー・純利益が正しく予測されている限り、どのモデルを使っても同じ評価額に到達することが理論上証明されている。モデルの選択は答えを変えず、変えるのは「予測のしやすさ」と「誤差の出方」だけである。だからこそ、どのモデルが実務に向くかという比較が意味を持つ。
なぜ残余利益モデルなのか、ターミナル価値への依存が最も小さい
資料は3モデルを3つの基準で比べている。第1に適用が不可能な場合。配当割引モデルは配当をゼロに抑える会社や定額配当の会社で使えない。非上場の同族会社はまさに配当を恣意的に決められる典型で、この方式は土台から合わない。割引キャッシュフローモデルは、成長期の設備投資でフリーキャッシュフローがマイナスになる会社で機能しない。残余利益モデルには、適用できない場合が特に見あたらない。
第2に予測の難しさ。配当は経営者が裁量で決められるため予測が難しく、キャッシュフローも設備投資と借入という裁量変数を含む。残余利益モデルが使う純利益は、発生主義会計がキャッシュフローの凸凹をならして配分するため変動が小さく、予測が最も容易である。第3にターミナル価値への依存。数年先より遠い将来の見積もりが評価額に占める割合は、配当割引モデルで最も大きく、残余利益モデルで明らかに小さい。評価の大半が「今ある簿価」と「数年分の利益」で決まるからである。この3基準の全てで残余利益モデルが優位という判定が、一本化案の理論的な根拠になっている。
新ルール案の「(簿価純資産+残余利益×5年分)×一定の係数」は、このモデルの無限期間の割引を「5年分」で打ち切った簡便形にあたる。資料の別の仮設例では、簿価純資産500、時価評価差額100、当期純利益45、資本コスト6%のとき、現行の帳簿による場合は500+(45−0.06×500)÷0.06=750、土地などを時価評価する場合は600+(45−0.06×600)÷0.06=750と、どちらも同じ750に着く。簿価を時価に直しても、残余利益の側が同じだけ減るため答えが動かない。この頑健さも、この方式の性格をよく表している。
勝者と敗者の分岐点は、利益率が資本コストを超えるかどうかにある
分配の帰結を数字で確かめる。残余利益がプラスになるのは、自己資本利益率が資本コストを上回る会社だけである。国税庁の会社標本調査によれば、2023年度の法人295万6,717社のうち欠損法人は180万3,203社、全体の61.0%を占める。政府統計の窓口で取れる2017年度の実数でも、単体法人270万6,627社に対し申告所得(利益)67兆9,437億円、申告欠損13兆3,184億円という分布だった。赤字の会社に残余利益はなく、評価は簿価純資産から超過収益力のマイナス分を差し引いた水準、すなわち簿価以下へ向かう。国内の法人の6割は、機械的には減税側に立つ。報道が伝える「規模が小さい中小・零細は税負担が減る見通し」は、この分布の裏返しである。
増税側に立つのは、資本コストを大きく超えて稼ぐ会社である。仮に自己資本利益率15%・資本コスト6%の会社なら、残余利益は簿価の9%にあたり、5年分で簿価の1.45倍(係数を掛ける前)まで評価が膨らむ。現行の類似業種比準方式で低く抑えられてきた優良な同族会社ほど、評価の上振れが大きい。実務家の間で語られる「全体では増税に振れる」という見立ては、相続税を実際に納める層が利益の出ている会社のオーナーに偏っていることを踏まえれば、税収の観点では的を射ている。
そして新たな節税の主戦場も、式の形から予想できる。変数は3つしかない。簿価純資産、5年分の利益、資本コストである。役員報酬や決算賞与で利益を圧縮する誘因は現行より強まり、資料自身が「法人税の節税を狙って利益圧縮された過年度分の損益計算書を、是認するか矯正するか」を検討事項として挙げている。資本コストを何%に置くかも評価を直接に動かす。米セントルイス連邦準備銀行のデータでは日本の長期国債利回りは2.67%と過去10年の最高値にあり、資本コストの土台が切り上がっている。金利が上がるほど残余利益は縮み、株式の相続税評価は下がる。金融政策が相続税評価に直結する時代が来ることになる。
事業承継の市場は二重の締め切りを迎える、当事者6社の実数
この見直しが実務に落ちる経路は、事業承継の駆け込みである。日本で殆ど指摘されていないが、日程には二重の締め切りが重なる。事業承継税制の特例措置(贈与・相続税の納税猶予の入り口)は2027年12月末が期限で、新ルールの適用開始は2028年1月1日以後の相続が視野に入る。高収益企業のオーナーにとって、2026年から27年は旧ルールの評価と特例措置の両方を使える最後の窓になる。評価方法の変更それ自体が、承継とM&Aの需要を前倒しで生む。
この市場の上場当事者を有価証券報告書の実数で並べる。M&A仲介の最大手日本M&Aセンターホールディングス(2127)は売上503億円・営業利益188億円で営業利益率37.3%。M&A総研ホールディングス(9552)は166億円・28.8%、ストライク(6196)は平均年収1,521万円が本稿で扱った全銘柄の中でも最高水準にある。仲介は在庫も設備も持たない事業で、案件の成約が利益に直結する。評価ルールの変更は、案件の背中を押す側に働く。
税務の実務を支える側では、税理士事務所向けシステムのTKC(9746)が売上835億円・営業利益率19.3%。会計SaaSのマネーフォワード(3994)は売上503億円で営業損益27億円の赤字、freee(4478)は333億円で黒字幅1.8%にとどまる。対照的なのは株主構成で、外国人持株比率はマネーフォワード53.2%、freee61.0%と、赤字のSaaSに海外マネーが厚く入り、高収益の仲介と老舗システムは2割前後にとどまる。評価が簡単になれば申告実務の工数は減るが、評価計算そのものが定型化することは、システムに落とし込みやすくなることも意味する。
米国の開示では残余利益は常用語である
一本化案を海外の物差しでも確かめておく。米上場企業の提出書類で「residual income」を含む開示は2024年に2,433件、2025年に3,905件あり、評価理論の用語としてだけでなく事業の収益区分としても定着している。「succession planning(承継計画)」は年9,100件前後で推移し、経営者の交代準備は開示事項として常態化している。米国の相続税(遺産税)における非上場株の評価は、歳入庁の通達(Revenue Ruling 59-60)が示す複数要素の総合考慮によっており、日本の新ルール案のような単一の算式への一本化はむしろ珍しい。算式を1本に固定する設計は、恣意性を消す代わりに、算式の変数へ節税圧力を集中させる。資料が過年度の損益計算書の矯正に言及しているのは、この集中を見越した論点である。
時価評価の論点は、含み資産の大きい製造業を直撃する
資料には青字の検討事項がもう1つある。「資産・負債の時価評価を行うか(不動産を相続した場合との公平のために)」。仮設例では時価評価をしてもしなくても答えは750で動かなかったが、あれは追加の時価評価差額100が収益を生まない前提の計算である。現実には、戦後から高度成長期に取得した土地や、償却の進んだ設備を抱える製造業の同族会社で、簿価と時価の差は大きい。時価評価を義務づければ、簿価純資産の項が膨らみ、その分だけ評価が上がる会社が出る。
この論点が重く効くのは、素材や精錬のように装置と土地を長く使う業種である。上場企業で言えば、信越化学工業(4063)や三井金属(5706)、JX金属(5016)といった精錬・材料の大手の裾野には、レアアースの再資源化や金属加工を担う非上場のサプライヤーが連なる。中国が2025年4月から重希土類7品目を輸出許可制の下に置き、国内で精錬とリサイクルの体制を厚くする必要が語られる局面で、その担い手である中小の同族会社の承継コストが評価方法ひとつで変わる。税制の設計が、供給網の細部の存続に触れている。
確かめられる点
検証は制度の日程で追える。第1に、有識者会議が2026年10月までに改正案をどこまで具体化するか。係数の水準と資本コストの決め方が最大の焦点になる。第2に、2026年末の2027年度税制改正大綱に盛り込まれるか。第3に、2027年春に予定される財産評価基本通達の改正案へのパブリックコメントで、時価評価の扱いと過年度損益の矯正がどう固まるか。第4に、事業承継税制の特例措置(2027年12月末期限)が延長されるか。延長の有無で駆け込みの規模が変わる。第5に、M&A仲介各社の受注が2026年後半からどう動くか。四半期開示で確認できる。
62年間変わらなかった計算が、教科書の標準理論に置き換わろうとしている。仮設例の3つの2,040が示す通り、理論の上で答えは1つに決まる。決まらないのは、係数と資本コストと時価評価という3つの選択であり、そこに実務と政治のすべてが集まる。恣意性を消すための算式が新しい恣意性の置き場所を決める過程を、日付とともに追う価値がある。
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