英情報局保安部 (MI5) は9月30日、中国の国家安全省が資金を出した研究に英国に関係する研究者100人超が加わったと公表し、共同研究の点検を促した。同じ規定は日本になく、旭化成や積水化学の事件で使われたのは営業秘密の法律だ。

英国の情報機関が、大学の研究者に対し、刑事罰のある法律を挙げて警告した。MI5は2026年9月30日に公表した警告文書で、中国の研究機関「中国通用技術研究院」を名指しし、同研究院が資金を出す研究を続ければ英国の国家安全保障法違反の罪に問われる恐れがあると指摘した。MI5が問題にしたのは人工知能 (AI) や秘匿通信などの学術研究で、企業の営業秘密や国の機密が持ち出されたとは述べていない。日本で同じ研究が行われた場合に捜査当局が使える法律を、条文と統計で確かめた。旭化成や積水化学の技術流出で立件に使われたのは、企業の秘密を守る不正競争防止法である。

MI5が名指ししたのは研究資金を出す中国の機関、分野はAIや秘匿通信など4つ

警告文書は1ページで、題は「スパイ活動に関する警告」である。MI5は、中国通用技術研究院には中国の情報機関である国家安全省と「非常に強い結びつき」があると指摘した。同研究院の主な目的は、国家安全省がスパイ活動に使う技術の向上に直接つながる学術研究に資金を出すことだとしている。国家安全省が同研究院を通じて資金を出した研究には、英国に関係する研究者100人超が加わったという。MI5が研究分野として挙げたのは、AI、サイバーセキュリティー、秘匿通信システム、ステガノグラフィーの4つである。

ステガノグラフィーは、画像や音声などのデータの中に、別の情報をそれと分からない形で埋め込む技術を指す。暗号は通信の中身を読めなくするが、通信していること自体は隠せない。これに対し、ステガノグラフィーは通信していること自体を隠す。AIで生成した画像や音声に情報を埋め込んだり、AIモデルを構成する数値の中に情報を紛れ込ませたりすれば、通信量の偏りから不審な通信を探す従来の監視では見つけにくくなる。AIとステガノグラフィーを組み合わせれば、情報機関が協力者とひそかに連絡を取る手段になり得る。

MI5は、関わった研究者全員に落ち度があったとはみていない。MI5は、同研究院が国家安全省との関係を見えにくくしてきたため、多くの大学や研究者は事情を知らずに協力してきたとみている。自分が加わった中国側の研究に同研究院の資金が入っていることを知らない研究者もいるという。警告文書が記したのは研究への資金提供で、MI5は資金の額や関係した大学の数を明らかにしていない。ロイター通信によると、MI5がこうした警告を自ら一般向けに公表したのは初めてだ。これまでは議会に宛てて警告を出していた。2022年1月には中国共産党の中央統一戦線工作部と関係のある人物について、2025年11月には国家安全省の意を受けて議員らに接触していた2人について、それぞれ注意を促した。

警告の公表後は「知らなかった」が通りにくい、英国が示した2つの罪

警告文書の後半は法律の説明に充てられている。MI5は、中国通用技術研究院と国家安全省の結びつきはこの警告で公になったとし、大学と研究者に国家安全保障法の第3条と第17条への注意を促した。第3条は外国の情報機関を支援する行為を、第17条は外国の情報機関から金銭などの利益を受け取る行為を罪と定めている。第3条の法定刑は14年以下の拘禁刑か罰金、またはその両方である。

第3条は、外国の情報機関が英国に関して行う活動を支援する意図があった場合だけでなく、実質的な支援になる可能性が高いと知っていたか、当然知り得た場合にも罪になると定める。支援の中身が秘密の情報の提供かどうかは問わない。このため警告の公表後は、同研究院の資金とは知らなかったという弁明が通りにくくなる。MI5は、公表後も同研究院を資金源とする研究を続ける大学や個人に、自ら弁護士などの専門家に法的な助言を求めるよう促した。

英国政府が同研究院との共同研究を禁じたわけではない。MI5は警告文書で、進行中や計画中の共同研究を直ちに点検するよう「強く勧告する」と書くにとどめた。ロイター通信などによると、ジャービス安全保障担当相は国内の全大学の学長に書簡を送り、教職員が同研究院との関係を断てるよう支援を求めた。研究者の訴追や同研究院の資産凍結は報じられていない。外国政府の指示を受けた活動に登録を義務づける「外国影響力登録制度」でも、規制の厳しい区分に指定されているのはロシアとイランで、中国は入っていない。在英中国大使館は9月30日、MI5の指摘は根拠のないでっち上げだと反発し、英国側に厳正な申し入れをしたと発表した。

米国などは先端半導体の輸出規制で、中国が使える計算能力を絞ってきた。英国は今回、刑事罰のある法律を示し、研究協力の段階で関係を断つよう促した。ただ、警告で断てるのは資金の受け取りと共同研究にとどまる。公表済みの論文やプログラムは誰でも入手でき、利用を止める手立てはない。

留学生の授業料はイングランドの大学の収入の23.4%、日本の国立大学は依存度が低い

英国の大学には、中国との関係を一気には断ちにくい財政上の事情がある。高等教育機関を監督する英学生局の報告書によると、イングランドの大学では2023〜24年度、留学生の授業料が授業料収入の45.6%、総収入の23.4%を占めた。同じ年度にイングランドの大学に在籍した中国からの留学生は12万7,875人で、インドの14万5,650人に次いで多い。学生局は、留学生の出身国が1か国に偏る大学は財務が特に不安定になりやすいと指摘している。

日本の国立大学は収入の構成が異なる。文部科学省によると、国立大学法人など86法人の2022年度の経常収益は、附属病院の収益を含めて3兆4,896億円で、うち授業料や入学金などの学生納付金は3,578億円だった。経常収益に占める割合は10.3%で、日本人学生の分を含めてもこの水準にとどまる。国立大学に限れば、留学生の授業料への依存度はイングランドの大学よりはるかに低い。

留学生の数は増えている。日本学生支援機構の調査では、2025年5月1日現在の外国人留学生は40万8,069人で過去最多となった。出身国・地域別では中国が13万1,097人で最も多いが、全体に占める割合は前年の36.7%から32.1%に下がった。2位のネパールが10万239人に増えるなど、ほかの国からの留学生の伸びが中国を上回ったためである。大学院に在籍する留学生は6万13人で、このうち国立大学が3万4,834人を占める。この調査は、博士課程の国・地域別の人数を公表していない。

中国軍の兵器開発と関係が深いとされる7大学、いわゆる「国防七校」からの留学生について、政府は2025年4月の答弁書で、文部科学省の調査に基づく2022年度の人数を示した。ハルビン工業大学32人、北京理工大学22人、ハルビン工程大学4人、南京航空航天大学と南京理工大学が各1人の計60人で、残る北京航空航天大学と西北工業大学は答弁書に記載がない。これらの留学生の研究内容について、政府は網羅的には把握していないと答えた。

旭化成と積水化学の技術流出事件は、いずれも不正競争防止法違反で立件された

中国企業への技術流出が問題になり、日本で摘発された主な事件は、企業の社員や研究機関の研究者が勤め先の情報を持ち出したとして立件されたものである。旭化成は2026年9月17日、元従業員が在職中に入手した潜在性硬化剤の機密情報を持ち出し、中国企業へ流出させたとして、不正競争防止法違反の容疑で愛知県警に逮捕されたと発表した。潜在性硬化剤は、半導体や自動車向けの接着剤に混ぜ、熱を加えたときに固まるようにする材料である。旭化成は流出先が中国の山東聖泉新材料だと公表し、元従業員と山東聖泉新材料を相手取り、情報の使用停止と廃棄を求める民事訴訟を起こす方針を示した。愛知県警が捜査を続けており、裁判で事実が認定された段階ではない。

積水化学工業の事件では、すでに有罪判決が出ている。判決によると、元社員は在職中、スマートフォンの液晶画面などに使う導電性微粒子の製造工程に関する情報を、中国の通信機器部品メーカー、潮州三環グループの社員にメールで送った。きっかけは、ビジネス向けSNS「リンクトイン」を通じた潮州三環側からの接触だった。大阪地裁は2021年8月18日、元社員に懲役2年、執行猶予4年、罰金100万円の判決を言い渡した。国の研究機関の事件でも、同じ不正競争防止法違反の罪が適用された。産業技術総合研究所の上級主任研究員だった男性は、フッ素化合物の合成技術に関する研究データを中国企業にメールで送ったとして2023年6月に逮捕された。東京地裁は2025年2月25日、男性に懲役2年6月、執行猶予4年、罰金200万円の判決を言い渡した。

企業・機関流出した (とされる) 情報経路捜査・裁判の状況
旭化成潜在性硬化剤の機密情報元従業員が中国企業へ流出させた疑い2026年9月17日に逮捕、捜査中
積水化学工業導電性微粒子の製造工程SNSで接触してきた中国企業の社員にメールで送信2021年8月、執行猶予付きの有罪判決
産業技術総合研究所フッ素化合物の合成技術上級主任研究員 (当時) が中国企業にメールで送信2025年2月、執行猶予付きの有罪判決
NISSHAタッチセンサーの製造設備の仕様書元社員が中国で競合企業の従業員に画像を送信2021年3月、懲役2年の実刑判決

4件はいずれも、不正競争防止法違反 (営業秘密侵害) の容疑で逮捕されたか、同じ罪に問われた事件で、外国の政府や情報機関との関わりは犯罪の成立要件になっていない。警察庁によると、全国の警察が2025年に摘発した営業秘密侵害事件は38件で、前年の22件から16件 (72.7%) 増え、過去10年で最も多かった。警察庁は、転職や独立の際に情報を持ち出す例が多いとしている。この件数には国内の同業他社への流出も含まれる。情報処理推進機構 (IPA) が2025年1月に企業の担当者ら1,200人に実施した調査では、営業秘密の漏えいがあったと答えた人のうち、漏えい先に「外国の競合他社」を挙げた回答は1.4%にとどまった。摘発の増加が、そのまま外国への流出の増加を示すわけではない。

日本の法律は守る対象を先に決める、外国の情報機関への支援を罰する規定はない

不正競争防止法が営業秘密として保護するのは、秘密として管理され、事業活動に有用で、公然と知られていない情報に限られる。論文として発表する前提の大学の研究は、この3要件を満たしにくい。MI5が問題にしたような共同研究が日本の大学で行われても、不正競争防止法を適用するのは難しいとみられる。

外国へ渡る技術や情報の4つの型と、日本と英国で当てはまる法律の対応。公開を前提とする共同研究に外国の情報機関が資金を出す場合、日本には直接罰する罪がない
外国へ渡る技術や情報の4つの型と、日本と英国で当てはまる法律の対応。公開を前提とする共同研究に外国の情報機関が資金を出す場合、日本には直接罰する罪がない

ほかの法律も、保護する対象を政府が指定した情報や技術に限っている。特定秘密保護法は、政府が指定した防衛や外交などの秘密を漏らした場合に、10年以下の拘禁刑を科す。2025年5月16日に施行された重要経済安保情報保護活用法は、重要インフラや供給網に関して政府が指定した情報を漏らした場合に、5年以下の拘禁刑などを科す。外国為替及び外国貿易法 (外為法) は、軍事転用できる技術を国の許可なく外国へ提供することを禁じている。

英国家安全保障法の条文罰する行為日本で対応する法律
第1条保護された情報を外国勢力のために取得・開示する特定秘密保護法など (指定された秘密に限る)
第2条外国勢力のために営業秘密を取得・開示する不正競争防止法 (外国勢力との関係は要件でない)
第3条外国の情報機関の活動を支援する直接当たる罪はない
第17条外国の情報機関から金銭などの利益を受け取る直接当たる罪はない

中国通用技術研究院のように外国の政府機関が研究に資金を出す場合に、最も近い規制は外為法の「みなし輸出」管理である。経済産業省は2022年5月1日から、国内の居住者への技術提供でも、相手が外国政府から多額の資金を受けている場合などは輸出とみなし、許可の対象としている。外国政府から奨学金を受けている留学生も対象になり得る。ただし、許可が要るのは軍事転用の恐れがあるとして規制されている技術に限られ、公開済みの技術の提供や基礎科学分野の研究活動には許可が要らない。AIの基礎研究を共同で進めて論文にまとめる場合は、この例外に当たりやすい。

新しい制度は、運用の実績がまだ乏しい。政府が国会に出した報告によると、重要経済安保情報を扱う人の信頼性を調べる適性評価 (セキュリティー・クリアランス) の実施は、施行から2025年末までに18件で、すべて行政機関の職員だった。民間企業を情報の提供先として認める適合事業者の認定は0件だった。安全保障上重要な発明の特許出願を非公開にする制度は2024年5月に始まった。2025年度は106件が特許庁から内閣府に送られたが、非公開とする「保全指定」は2年連続で0件である。

政府のスパイ防止法案はまだなく、有識者会議は9月28日に初会合を開いた

英国の国家安全保障法の第3条と第17条に当たる行為を今の法律では十分に罰せないことは、自民党も指摘している。自民党のインテリジェンス戦略本部は2026年8月5日にまとめた提言で、外国の情報機関を支援したり利益を受け取ったりする行為や、秘密に指定されていない機微な情報を外国勢力のために取得する行為は、現行法では必ずしも十分に処罰できないとした。提言は、外国政府のために国内で活動する人に登録を義務づける外国代理人登録制度と、外国による干渉行為への刑事罰を一体で整備するよう求めている。

政府はまだ法案をまとめていない。自民党と日本維新の会は2025年10月20日に交わした連立政権合意書に、スパイ防止関連法制について同年中に検討を始め、速やかに法案を策定して成立させると明記した。先に進んだのは情報活動の司令塔づくりである。国家情報会議設置法が2026年5月27日に成立し、7月31日には内閣情報調査室を改組した国家情報局が発足した。スパイ防止法制は、政府が9月28日に初会合を開いた「インテリジェンス機能の強化に関する有識者会議」で検討が始まったところだ。国家情報局が会議に示した資料は、今後の課題として「懸念国等の不当な工作」に対処するための法制度を挙げた。共同通信は、政府が2027年の通常国会以降の法案提出を目指すと報じている。

国会では2026年4月23日、国民民主党が提出したインテリジェンス態勢整備推進法案が衆院本会議で否決された。過去には1985年、自民党の議員が国家秘密法案 (スパイ防止法案) を議員立法で提出した。最高刑を死刑とする内容だった。法案は審議未了のまま廃案になった。日本弁護士連合会は2026年2月20日付の意見書で、外国代理人登録制度は憲法が保障する人権の侵害につながる可能性があるとして、制度の必要性の検討を含めて慎重に審議するよう求めた。処罰や登録の対象をどこまで広げるかによって、報道や学術交流が受ける影響は変わる。

法律ができるまで、企業と大学が使えるのは共同研究の相手と資金源の確認

それまでの間、技術を守る手段は企業と大学の自主的な対策になる。経済産業省は2026年4月27日に技術流出対策ガイダンスの第2版を公表し、共同研究に伴う流出への対策を加えた。ガイダンスは、重要な技術を扱う部署に従業員を配属する際、本人の同意を得たうえで、外国政府の情報収集に協力する法的な義務を負っていないかどうかと、外国政府との関係の有無を確かめることを対策に挙げた。共同研究については、相手を国、組織、個人の3つのレベルで調べる考え方を示した。

大学向けには、内閣府の有識者会議が2025年12月に「研究セキュリティの確保に関する取組のための手順書」をまとめた。国の研究費のうち技術流出を特に防ぐ必要がある事業では、研究費を配分する機関と大学が、共同研究の相手を調べる。手順書は法令ではなく指針で、国籍や人種を理由にした差別的な取り扱いがあってはならないと明記している。MI5の警告も、国籍ではなく資金の出し手で線を引いた。共同研究の資金が最終的にどこから出ているのかを確かめる対策は、日本の大学でも取れる。

留学生や外国人経営者に関わる最近の制度変更は、技術流出の防止とは別の目的で進んでいる。出入国在留管理庁によると、2025年末の在留外国人は412万5,395人で、このうち日本で会社を経営する外国人向けの在留資格「経営・管理」を持つ人は4万6,781人だった。政府は2025年10月16日、この資格を取るのに必要な資本金を500万円以上から3,000万円以上に引き上げた。狙いは、事業に実体があるかを確かめることにある。博士課程の学生を支援する国の「次世代研究者挑戦的研究プログラム」も、2027年度から生活費の支給を日本人に限る。文部科学省は、日本人の博士課程への進学を促すためと説明している。

企業も社内の情報管理を強めている。旭化成は逮捕を公表した9月17日の発表で、機密情報の区分と管理方法の明確化、機密情報を閲覧できる権限の見直し、退職予定者の誓約書と貸与パソコンの管理の強化などを再発防止策に挙げた。積水化学は有価証券報告書で、機密性の高い特定の事業について関係省庁の支援を受けて情報管理を進めるとしている。各国の制裁や輸出規制の対象になっている企業と機関は、当サイトの制裁データベースにまとめている。

英国には、外国の情報機関のために動くこと自体を罪とする法律があり、MI5は警告の公表によって、研究者に共同研究の点検を促した。日本にあるのは秘密を守る法律で、旭化成や積水化学のように企業の秘密の持ち出しが問題になった事件には使えるが、公開を前提とする研究に外国の情報機関の資金が入った場合に当てはまる罪は見当たらない。政府は2027年の通常国会以降に関連法案の提出を目指すと報じられており、それまで日本の企業と大学が使えるのは今ある法律と指針である。

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