英ロンドンの創薬AI新興、ベースキャンプ・リサーチが発表した1億4,000万ドルの調達は、英国の登記所に出された新株発行の届け出と決算書を突き合わせると、調達の内訳や米エヌビディアの出資時期、これまでの資金の使い道が分かる。

英ベースキャンプ・リサーチは9月23日、「シリーズC」の資金調達で1億4,000万ドルを集めたと発表した。ロイター通信によると、調達後の企業価値は8億ドルで、累計調達額は2億2,500万ドルになった。会社の発表では、米エヌビディアは出資者の1社として名前が挙がっているにすぎない。ところが、ベースキャンプが英国の会社登記所に提出した決算書の注記には、決算日の後に起きた重要な出来事として、エヌビディアの投資部門エヌベンチャーズが今年1月12日に2,500万ドルを出資したと記されている。この出資は7月、今回の新株の10%の割引価格で株式に転換されたとみられる。

エヌビディアの2,500万ドル、7月に割引価格で株式へ転換か

調達を主導したのは米ベンチャーキャピタルのS32だ。S32の共同経営者で、米アルファベット傘下で医療・生命科学事業を手がけるベリリーの最高経営責任者を務めたアンディ・コンラッド氏が、ベースキャンプの取締役に就任した。募集額を上回る応募があり、エヌビディアのほか、米アンソロピックと米メンロ・ベンチャーズが共同で設けた「アンソロジー・ファンド」、北大西洋条約機構のイノベーション基金、ロックフェラー財団、カタリオ・キャピタル・マネジメント、前回のシリーズBを主導したシンギュラーなど投資家14社・団体が出資した。スイス製薬大手ロシュのアンドレ・ホフマン副会長ら、製薬業界の経営幹部も個人として出資した。

英国では、会社が新株を発行するたびに登記所への届け出が義務付けられている。ベースキャンプは7月17日付の届け出で、C1種優先株125万9,392株を1株約48.86ポンドで、C2種優先株43万662株を1株約43.98ポンドで発行したと報告した。C2種の発行価格は、C1種のちょうど9割だ。さらに8月19日から9月1日にかけて、C1種を43万4,811株追加発行した。

C2種の割当先は、決算書の注記と株主の決議から推定できる。2024年12月期の決算書では、ベースキャンプは今年1月12日に将来株式取得契約(SAFE)を結び、エヌベンチャーズから2,500万ドルの出資を受けた。SAFEは、投資家が企業価値を決めずに先に資金を払い込み、次の増資の際に割り引いた価格で株式を受け取る契約だ。1月9日には、株主総会を開かずに書面で行う株主の決議で、この契約に基づく株式の割り当てに備えて新株の発行を取締役会に委ねた。1月12日にAIモデル「EDEN」を発表した際には、同部門からシリーズCに先立つ出資を受けたと明らかにしていた。

2,500万ドルをC2種の株式数で割ると、1株58.05ドルになる。割引がなかったとすると1株64.50ドルで、C1種の発行価格を1ポンド=1.32ドルで換算した額と一致する。C2種は、エヌビディアの2,500万ドルが10%の割引価格で株式に転換されたものとみられる。そうであれば、発表された1億4,000万ドルのうち2,500万ドルは、8カ月前に払い込まれていたことになる。

登記書類では、シリーズCの発行額はC1種が8,278万ポンド、C2種が1,894万ポンドで、計1億172万ポンドとなる。C1種を発行日の為替レート(米セントルイス連銀の公表値)でドルに換算し、C2種の2,500万ドルを加えると約1億3,650万ドルになる。7月3日の決議で認めたC1種の発行枠178万2,938株をすべて発行すれば、約1億4,230万ドルとなる。発表の1億4,000万ドルは、両者の間に収まる。

企業価値8億ドル、ストックオプション分を含む株式数で算出か

非上場企業の企業価値(増資後の評価額)は、直近の増資の発行価格に、潜在株式を含む株式数を掛けて算出するのが一般的だ。9月1日時点の発行済み株式数は1,097万3,138株だった。これにC1種の発行枠の残り8万8,735株と、7月の決議で従業員らのストックオプション(あらかじめ決めた価格で株式を買える権利)向けに確保した118万6,635株を加えると、1,224万8,508株になる。この株式数に1株約48.86ポンドを掛けると5億9,850万ポンドで、7月の為替レートで換算すると約8億500万ドルになる。ストックオプション向けの株式を除くと約7億2,700万ドルにとどまる。報道された8億ドルは、ストックオプション分を含めた株式数から算出した値とみられる。

累計調達額の2億2,500万ドルも、登記書類で確認できる。資金調達ごとの発行株式数に発行価格を掛け、発行日の為替レートでドルに換算して合計すると約2億2,270万ドルで、発表との差は1%ほどだ。ロイター通信が6,000万ドルと報じた2024年のシリーズBも、登記上のB種の発行額4,635万ポンド(約6,064万ドル)とほぼ一致する。

種類発行時期1株の発行価格発行額ドル換算額
A種2020年5月1.30ポンド100万ポンド123万ドル
A1種2021年8月2.77ポンド410万ポンド567万ドル
A2種2022年8〜12月9.20ポンド1,543万ポンド1,866万ドル
B種2024年9月〜15.13ポンド4,635万ポンド6,064万ドル
C2種2026年7月43.98ポンド1,894万ポンド2,500万ドル (出資額)
C1種2026年7〜9月48.86ポンド8,278万ポンド1億1,148万ドル
1株の発行価格、シリーズBからシリーズCで3.2倍に
1株の発行価格、シリーズBからシリーズCで3.2倍に

1株の発行価格は、2024年9月のB種の15.13ポンドからC1種の48.86ポンドへ約3.2倍に上昇した。ストックオプション向けの株式を除く発行済み株式数で比べると、株式の評価額はB種の発行時点の1億3,387万ポンドから、シリーズCの時点では5億3,619万ポンドへ、1年10カ月で約4倍になった計算だ。新株発行の届け出の記載では、ベースキャンプの優先株には残余財産の優先分配権が付いている。会社を清算する場合、優先株主は払込額と、普通株と同じ条件で分配を受けた場合の額のうち多い方を、普通株主より先に受け取る。

AIモデル「EDEN」、学習にエヌビディアの画像処理半導体1,008基

投資家が評価したのは、ゲノム(全遺伝情報)の膨大なデータと、それを学習させたAIモデルだ。1月に公開した論文では、EDENのうち最大のモデルはパラメーター(学習で調整する数値)が280億個あり、ベースキャンプが独自に集めた遺伝子の塩基配列を9.7兆トークン分学習した。トークンはAIがデータを処理する際の最小単位で、ここでは塩基配列の区切りを指す。学習に使ったデータには、100万種を超える新種から見つかった100億個超の新規遺伝子が含まれていた。論文は専門家による査読を経ていない。共著者にはエヌビディアや米マイクロソフト、米ペンシルベニア大学、英オックスフォード大学などの研究者が名を連ねる。

学習の規模も公表されている。最大のモデルの学習にはエヌビディアの「ホッパー」世代の画像処理半導体1,008基を使い、計算量は1.95×10の24乗回に達した。大規模言語モデルで一般に使う概算式(6×パラメーター数×学習トークン数)で計算すると1.63×10の24乗回で、公表値はその1.2倍にあたる。桁は一致しており、公表値は妥当な水準だ。EDENはベースキャンプとエヌビディアが共同で開発した。エヌビディアは出資するだけでなく、学習に使う半導体やソフトウエアも提供している。AI分野の大型資金は半導体からAIモデル、その応用まで幅広く流れ込んでおり、今回の出資もその一環だ。

ベースキャンプの発表では、EDENはDNAの30塩基の配列を入力として、長い遺伝子をヒトゲノムの狙った位置に組み込む組み換え酵素(リコンビナーゼ)を設計した。疾患に関わる10カ所の遺伝子座などで試したところ、設計の63.2%が機能した。ヒトの細胞でも機能したのは、その半数だった。がん細胞を攻撃する遺伝子をヒトのT細胞に組み込み、試験管内でがん細胞の9割超を死滅させたとも発表した。細菌を殺す短いたんぱく質(抗菌ペプチド)の設計では、候補の97%で細菌の増殖を抑える効果を確認した。いずれも前臨床段階の結果で、同社は治験の開始時期を明らかにしていない。

同社がまず狙うのは、患者の体内で直接細胞を改変する細胞療法だ。現在の細胞療法は患者から取り出した細胞を工場で加工するため、製造費は1人あたり数十万ドルにのぼると同社は説明する。EDENで設計した長く複雑なDNAを、大型の組み換え酵素で体内の細胞に組み込めば、製造工程を減らせるという。対象にはがんや自己免疫疾患を想定する。米アンソロピックとは、同社の科学研究向けの取り組み「Claude Science」で協業し、疾患の情報から治療薬の候補を作り出せることを実証したとしている。データは、7大陸30カ国超の組織と遺伝資源の利用・利益配分に関する協定を結び、集めてきた。3月にはエヌビディア、アンソロピック、米パシフィック・バイオサイエンシズ、米ウルティマ・ゲノミクスと組み、既知の遺伝子の種類を100倍に増やす計画「Trillion Gene Atlas」を始めた。今回の資金は、次世代EDENの学習と、候補薬の臨床開発に充てる。

売上高は非開示、2024年の赤字は890万ポンドに拡大

企業価値に次いで投資家が注目するのは、売上高の伸び、粗利益率、特定顧客への依存度、手元資金の減少ペースだ。同社は小規模会社の特例で会計監査を免除されており、登記所には損益計算書を提出していない。売上高も粗利益率も、登記書類からは分からない。

貸借対照表からは手がかりがいくつか得られる。2024年末の売掛金は4万1,361ポンドで、前年末の3万9,600ポンドとほぼ変わらない。製薬会社などとの契約で受け取ったとみられる前受金は、2023年末の10万ポンドから2024年末にはゼロになった。一方、売上高に計上したがまだ請求していない未収収益は、2024年末に76万6,250ポンドあった。ベースキャンプは、発生した費用を見積総費用で割った進捗度に応じて売上高を計上する原価比例法を採用している。提携の契約総額がそのまま売上高になるわけではない。研究開発費は全額を発生時に費用処理し、資産計上していない。

年間の赤字額は、累積赤字の増加額から推計できる。

12月末現預金純資産累積赤字年間の赤字 (推計)
2022年1,574万ポンド1,570万ポンド480万ポンド333万ポンド
2023年1,036万ポンド1,199万ポンド852万ポンド372万ポンド
2024年3,844万ポンド4,737万ポンド1,742万ポンド890万ポンド

2024年の赤字は890万ポンドと、前年の2.4倍に膨らんだ。損益計算書が開示されていないため、どの費用が増えたかは分からない。平均従業員数は26人と、前年の29人から減った。同じ年、同社はコンピューター機器の取得に497万ポンドを投じた。前年末の機器の簿価(27万ポンド)の18倍にあたる。ただ、機器は資産に計上しているため、損益に影響するのは毎年の減価償却費だけだ。

2024年は増資で4,421万ポンドを得て、営業活動と設備投資に1,613万ポンドを使った
2024年は増資で4,421万ポンドを得て、営業活動と設備投資に1,613万ポンドを使った

2024年の現預金の増減は、登記書類の数字で説明できる。増資により、資本準備金は4,421万ポンド増えた。ここから設備投資の497万ポンドと、営業活動による支出の約1,116万ポンドを差し引くと、現預金の増加額2,808万ポンドになる。営業活動による支出は、赤字890万ポンドに減価償却費などを加え、債権の増加額などを差し引いて逆算した推計値で、別の資料で確認した数字ではない。営業活動と設備投資を合わせ、年間1,613万ポンドの資金が流出した計算だ。なお、B種の発行額4,635万ポンドと資本準備金の増加額4,421万ポンドの差額214万ポンドの理由は、決算書に記載がない。

2024年12月期の決算書には、数字の食い違いもある。会計方針の注記のうち、事業を続けることを前提に決算書を作成したと説明する部分は、純資産を4,591万5,486ポンドとしている。貸借対照表の純資産は4,737万1,253ポンドで、145万ポンドほどの差がある。監査を受けていない決算書のため、数字の正確さには限界がある。

次の焦点は2025年12月期の決算書、提出期限は9月30日

今回調達した資金のうち、C1種の8,278万ポンドだけで、2024年の流出額(1,613万ポンド)の約5.1年分にあたる。この計算には、1月のエヌビディアからの資金や、2024年末の現預金3,844万ポンドを含めていない。ただ、2025年の支出は開示されていない。ベースキャンプは2024年12月に米デラウェア州に完全子会社を設立し、米マサチューセッツ州ケンブリッジに研究所を置く。次世代EDENの学習や候補薬の臨床準備も控えており、支出が膨らめば手元資金がもつ期間は短くなる。次の資金調達の時期は、実際の支出がどこまで増えるかに左右されそうだ。

英国の非上場会社は、決算日から9カ月以内に決算書を登記所に提出する必要がある。2025年12月期の提出期限は9月30日で、9月24日時点ではまだ提出されていない。同社は過去3期とも期限後に提出しており、2024年12月期分の提出は今年2月10日だった。

同社は製薬会社との提携を広げるため、米バイオジェン出身のリチャード・ピアース氏を最高事業責任者に迎えた。提携が広がって売上高が積み上がっているかどうかは、前受金と未収収益の増減が手がかりになる。投資家は、提携の契約総額と実際に計上された売上高の差を見極める必要がある。同社はサービス提供の対価を売上高に計上しており、取扱高を総額で売上高とする仲介型の事業とは異なる。候補薬がどれだけ早く治験に進むかも、企業価値に響く。

英国の登記書類から分かるのは、資金の集め方と2024年の使い道までだ。企業価値8億ドルの算出方法や、エヌビディアが8カ月前に2,500万ドルを払い込んでいたことは分かるが、事業の収益力は見通せない。

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