産業革新投資機構が2024年に非公開化したJSRを、三井化学に1兆3000億円以上で売却する方針だと、ロイター通信と日本経済新聞が報じた。機構が普通株に出資した5,470億円に対し、回収額は2倍前後になる計算だ。
売却はまだ決まっていない。三井化学は11月4日、「本件も含めさまざまな検討を行っていることは事実だが、現時点で決定した事実はない」とのコメントを発表した。売却が決まっても、株式の譲渡がすぐに完了するとは限らない。機構がJSRを非公開化したときは、中国の競争当局の審査が長引き、計画の公表からTOB(株式公開買い付け)の開始まで約9か月かかった。
三井化学がJSR売却の優先交渉権を得たと報道、決定は早ければ11月中
ロイター通信は11月4日、事情に詳しい関係者2人の話として、機構がJSRを三井化学に売却する方針だと報じた。売却額は1兆3000億円を超える可能性があり、早ければ11月中に決まるという。機構とJSRはロイターの取材に応じていない。
日本経済新聞も同日、機構が4日までに三井化学を売却先の優先交渉権者に選定したと報じた。三井化学は機構からJSR株の大半を買い取り、JSRの半導体材料事業を取り込んで収益力を高めるという。同紙は、実現すれば国内の化学業界のM&A(合併・買収)で過去最高額になると伝えた。
9月18日には、三菱ケミカルグループと三井化学が最終候補に残ったと報じられていた。三井化学は当時、「当社が発表したものではない」とのコメントを出すにとどめた。11月4日のコメントで、三井化学はJSRの買収を検討していることを初めて認めた。三井化学が買収資金をどう賄うかは、9月に公開した記事で試算した。
産業革新投資機構の回収額は、出資額の2倍前後になる計算
産業革新投資機構は、経済産業省が所管する官民ファンドで、2018年に発足した。官民ファンドは、政府と民間企業が出資して企業に投資する組織である。機構がJSRの買収に充てた資金の内訳は、JSRの有価証券報告書に記載がある。ロイターが伝えた機構の取得額(約9,000億円)は、有価証券報告書に記載された取得対価(9,038億7,300万円)とほぼ一致する。
表1 産業革新投資機構によるJSR買収の取得対価と資金の内訳
| 内容 | 金額 |
|---|---|
| 株式の取得対価 | 9,038億7,300万円 |
| 普通株への出資 (機構のファンド) | 5,470億6,500万円 |
| 借り入れ (2024年4月と9月) | 3,600億円 |
| 優先株 (みずほ銀行と日本政策投資銀行) | 200億円 |
| (参考) 借り入れの残高 (2026年3月末) | 3,763億円 |
出所: JSRの有価証券報告書 (2025年3月期・2026年3月期)。借り入れの満期は2031年。資金の3行の合計は取得対価と一致せず、差の使い道は有価証券報告書から特定できなかった
報じられた1兆3000億円が株式の価値を指すなら、機構が普通株に出資した額の2.38倍になる。2026年3月末の純有利子負債3,433億円を含めた企業価値を指すなら、株式の価値は差し引き9,567億円になる。この場合、倍率は1.75倍にとどまる。どちらを指すかは報じられていない。
TOBの代金を支払った2024年4月から数えると、機構の保有期間は現在までで2年7か月ほどになる。この期間で複利の年率に換算すると、2.38倍なら約40%になる。1.75倍なら約24%である。株式の譲渡が2027年以降にずれ込めば、年率はこれより下がる。この計算には、借り入れの返済や手数料、配当を含めていない。
JSRの株式は2026年3月末時点で、機構のファンドが合わせて96.47%を持っていた。優先株を引き受けた2行は、それぞれ1.76%を持っていた。日本経済新聞は記事の見出しで「政投銀もJSRに一部出資へ」と伝えている。出資の割合は確認できていない。
機構の運用期限は、2024年の産業競争力強化法の改正で2050年3月末まで延びた。このため、機構が売り急ぐ必要はない。時間の制約があるとすれば、2031年に満期を迎えるJSRの借り入れの方である。
JSRの非公開化では中国の審査が長引き、TOBの開始は公表から約9か月後
企業を買収するときは、当事者の売上高などが基準を超える国ごとに、競争当局の審査を受ける必要がある。合併や株式の取得で市場の競争が損なわれないかを調べる手続きで、企業結合審査と呼ばれる。審査が終わるまで、買い手は株式を取得できない。機構は、自らが手がけた2件の非公開化で、この手続きに時間を取られた。
JSRの場合、機構は2023年6月26日に1株4,350円でのTOBを公表した。当初は2023年12月下旬に始める予定だったが、中国当局の審査が終わらなかった。機構は12月19日、開始を2024年2月下旬以降に延期すると発表した。
TOBが実際に始まったのは2024年3月19日で、公表から約9か月後だった。TOBは4月16日に終わり、機構側の保有比率は84.36%になった。JSRは2024年6月25日に上場廃止となった。
新光電気工業の買収は、さらに長くかかった。機構は2023年12月12日の公表の時点で、2024年8月下旬にTOBを始めることを目指していた。日本、韓国、ベトナム、中国の当局の審査のうち、ベトナムと中国の審査が終わらず、TOBの開始は2025年2月18日にずれ込んだ。公表から約14か月後である。
今回は三井化学が機構から非上場のJSR株を買い取る取引のため、TOBは必要ない。ただ、競争当局の審査は、取引の形にかかわらず受ける必要がある。どの国の審査が必要かは、まだ開示されていない。売却が11月中に決まっても、審査などに前例と同じ程度の期間がかかる可能性がある。その場合、株式の譲渡が完了するのは2027年8月から28年1月になる計算だ。
三井化学と産業革新投資機構は、新光電気工業の買収で共同出資した
三井化学と機構は、新光電気工業の買収で手を組んだ。機構が富士通から新光電気工業を買い取ったときは、機構のファンドと大日本印刷、三井化学が、買収のために設けた会社に出資した。議決権の80%は機構のファンドが持った。大日本印刷は15%、三井化学は5%だった。
三井化学は総額約350億円を出資し、普通株と、議決権のない優先株を引き受けた。三井化学は、新光電気工業の半導体パッケージ基板の技術と自社の材料技術を組み合わせる狙いだと説明している。パッケージ基板は、半導体チップと電子機器のプリント基板をつなぐ部品である。
一方、JSRが主力とするフォトレジストは、ウエハー(シリコンの円板)に回路を作る前工程の材料だ。売却が決まれば、三井化学は前工程の材料でJSRを傘下に収める。チップを組み立てる後工程では、新光電気工業に少数株主として出資している。
JSRはEUV向けレジストに強く、売却なら業界再編で買われる側に
フォトレジストは、光を当てた部分だけ性質が変わる樹脂で、ウエハーに回路パターンを焼き付けるのに使う。日経クロステックが英調査会社オムディアの資料を基に伝えたところでは、日本の5社が世界シェアの9割を握る。JSR、東京応化工業、信越化学工業、住友化学、富士フイルムである。
JSRは2021年、最先端の極端紫外線(EUV)露光に使うレジストを開発する米インプリアを完全子会社にした。インプリアの製品は、スズの酸化物を主成分とするメタルレジストである。JSRは当時、回路の微細化が進むほど解像度の高いEUVレジストが必要になり、メタルレジストはその有力な候補だと説明していた。JSRは買収にあたり、インプリアの事業価値を5億1,400万ドルとすることで合意した。
JSRは非公開化の後、事業を半導体材料に絞った。体外診断薬の事業をトクヤマに806億円で、バイオプロセス材料の事業を独メルクに76億円で売却した。半導体材料を含むデジタルソリューション部門の営業利益は、2026年3月期に557億円だった。JSRは2030年までに、コア営業利益を1,000億円に引き上げる目標を掲げる。
機構は2023年の公表資料で、投資の出口について、再上場を基本方針とすると記していた。JSRは同じ6月の非公開化の発表で、機構の傘下で半導体材料の業界再編を主導する考えを示していた。機構が再上場ではなく化学大手への売却を選べば、JSRは業界再編で買われる側に回ることになる。
報じられた額で売却が実現すれば、産業革新投資機構は普通株への出資額の2倍前後を回収することになる。ただ、売却が決まっても、株式の譲渡が完了するまでには各国の審査がある。機構自身の前例では、公表からTOBの開始までに9か月から14か月かかった。
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